地獄以外の世界では、次に餓鬼道がある。飢えと乾きに苦しむ世界だ。腹だけが異様に大きい栄養失調の幽鬼のような存在の絵図を見たことがある人もいるだろう。のどが渇いても口先が針のように細くなっているから、うまく水が飲めない。この世で人に物を分け与えなかった者や、嫉妬に狂った人間が落ちると言われている。これまた世間には多いパターンだろう。

 畜生道は読んで字のごとく、動物になる世界である。何の動物になるかは分からないが、常に食うか食われるかの弱肉強食か、牛馬のように重い荷物を運ばされる運命となる。こちらの世界は生前に悪業を平然と行ってきた恥知らずな者が行く。さだめし、振り込め詐欺を働くような者が行くところであろう。いや、相当悪質だからは地獄行きかもしれないが……。彼らは現世においても上部組織から金を吸い上げられ、ノルマが達成できないと、ひどい目に遭うのがオチだ。弱者をだますような最低なことをしていれば、どの世界でも恐ろしい末路しかないのである。

 修羅道は常に戦闘が行われている世界だ。生きるか死ぬかを繰り返すだけ。これも考えようによっては地獄だろう。人を憎んだり、慢心したり、愚痴をこぼしたりの人生を送ると堕ちると言われている。人道はもちろん現世のことである。天道は極楽のことではない。四天王などインドの神々が住む世界だが、ここでも寿命があって生前のよい行いの種が尽きると地獄へ堕ちかねない。

 生まれたり死んだりしながら、この六つの世界を転々と永遠にめぐる。これが輪廻六道(りんねろくどう)という思想なのである。平安時代の源信が著した「往生要集」に出てくる迷界なのだ。これだけ見ると、死んだら大変な世界が待っていることになる。しかし、亡くなった人がすべてこうした六つの世界のどれかに行くのかというとそうではない。

 輪廻しない別の世界がある。これが極楽浄土だ。実は、浄土とは仏が持っている世界のことである。仏は無数にいるから浄土も無数にある。有名なのは阿弥陀如来の西方極楽浄土だ。ほかにも薬師如来の瑠璃光浄土や、観音菩薩の補陀落浄土などが一般に知られている程度だろう。死んだとき西方浄土へ行くことを願うのは、人の臨終に当たって阿弥陀如来が迎えに来てくれるからという阿弥陀信仰のためである。雲に乗って阿弥陀如来が迎えに来てくれる阿弥陀来迎図を何かの本などで見た人も多いだろう。

 この極楽は、煩悩から解放されて輪廻から脱却した者が行ける。金、銀、瑠璃、波璃の宝石で彩られた美しい世界であり、何の不安もない理想郷である。この浄土へ行く方法、すなわち「解脱」を説いたものが仏教なのである。

 釈迦が摩耶夫人の右わき腹から誕生したとき、自ら七歩歩いて「天上天下唯我独尊」と言ったとあるが、この七歩は六道輪廻を超えたという意味なのである。