人は死ぬとどうなるか。
 死の淵をさまよった臨死体験者は「暗い中を進むと、川のようなものがあって、渡ろうとすると自分を呼ぶ声がする。それで戻ってきたら生き返った」などというものが多いようだ。この川を三途の川と結びつける人もいるが、誰も分からない。

 ほかに、「お花畑を見た」という例も多いという。三途の川にしろ、お花畑にしろ、生命体が危機に陥ると脳内にエンドルフィンという麻薬のような物質が出て幻覚を見るからだ、などとする説もある。こうした現象から死後の世界を説くことが生まれたのか、それとも思想が先にあってそうした状況に合わせた「夢」を見たのか。もちろん、鶏が先か卵が先か……みたいな話で確かめようはない。

 それはともかく、まず仏教で言う死後の世界を見てみることにしたい。昔の人はそれを信じて社会の規律を保っていたのは間違いないのだから。

 人が死ぬと、冥途へ行く。まずは七日間というもの星明かりだけを頼りに一人で山道を登る。その距離は八百里(三千二百キロ)という。死者が食べるのはお香だけ。このことから、遺族は七日間、線香を絶やしてはならないとされているわけだ。お通夜や葬式で参列者が持参する香典というしきたりも「香を供える」というところからきている。

 さて、七日目に最初の裁判を受ける。現世で犯した罪を調べられるわけだ。初七日(しょなのか)担当の裁判官・秦広王(しんこうおう)が審査を行う。これは本格裁判の前の事前審査のようなものだ。生前に不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒戒を守っていたかどうかがチェックの対象だ。

 初七日の裁判を終えた段階で初めて、三途の川にさしかかる。罪の軽い者は橋を渡っていけるが、罪の重い者は、その内容により浅瀬から濁流まで、渡る部分が決まっているという。つまり、三通りの途(みち)があるから三途の川と名づけられたのである。川の渡し賃が六文だから、昔は棺に六文銭を入れたことを知っている人は多いだろう。

 川を渡りきると、衣領樹(えりょうじゅ)という木のところに、脱衣婆(だつえば)がいて、死者の衣服を剥(は)ぎ取る。それを木の上にいる懸衣翁(けんねおう)が受け取って枝に掛ける。すると、生前に犯した罪が重いと枝が大きくしなる。つまり、罪の量りのようなものだ。その情報は次の裁判官に引き継がれて行くことになる。