自殺者は年間三万四千人といったが、予備軍は十倍ぐらいいても不思議ではない。いや一度でも自殺を思い込んだ人ははるかに多いだろう。自殺の理由は病苦、生活苦、家庭問題などいろいろある。豊かな時代になったと言っても自殺者は増える一方である。いや、豊かなるがゆえの心の病が増えている。

 昔の人から見れば、ぜいたくでわがままな理由となるのだろうが、それについて批判をする気はない。時代や環境によって変遷するのは当然だからだ。むしろ、こうした心の病を取り除けない社会の方が病理に侵されている。

 競争社会になって、そこからつまはじきにされた人間は居場所を失う。誰も助けてくれない。親にも社会にも人を愛する余裕がない。いわば、自殺志願者だけでなく、誰もがストレスを抱え、他人を顧みることができない。こうした社会が住みよいとは到底言えないだろう。物質文明の悲劇である。いまこそ価値観を転換することが必要なのだろう。

 精神文明で一番重要なのは愛だ。愛とは本来、無償のものである。見返りなどは求めない。たとえば親の愛だ。育ててやったから、将来、何か返してくれという性質のものでない。ただひたすら、愛情を注ぎ込む。すると注ぎ込まれた子供だけではなく、注ぎ込んだ親の方も幸せになれるのである。親子だけでなく、男女間でもそうだ。これだけ愛してやっているのに分かってくれないとか、裏切られたといって苦しむ。これを「渇愛」という。のどの渇きのように、愛を求めてひりひりと心が渇く。

 ストーカーのようにつきまとうのは、相手を好きなのではない。自分がかわいいのだ。自分の心を満足させるために、つきまとう。自己愛である。他人を愛してはいない。これは極端だとしても、多くの人々が渇愛で苦しんでいる。そこから脱却して、「それでも好きなんだから、自分は満足なんだ」と心を切り替えることができれば、楽になれる。愛は求めるものではない。与えるものである。

 自殺する人は、結局のところ愛に飢えている。社会が愛情あふれるものにならない限り、決して減りはしない。