年間三万四千人もの人が自らの命を断っているという。一日当たり百人であり、交通事故で亡くなる人の実に三倍だ。その割に報道されないのは、人権意識が高まってきたからである。今から三〇年近く前、サツ回りの記者をしていたときは自殺でもある程度、報道していた。現場へ行き、警察の話を聞いて記事にすべきかどうか判断した。いまは、警察が発生そのものを発表しないから、特別な場合を除いて知り得ないし、記事にはならない。
いや、その当時から自殺報道の基準として、病苦などは書かないという決まりごとがあった。社会的に影響がないからという理由である。もっと端的に言うと、記事にするかどうかの基準は社会的な状況を反映しているか否かだ。当時としては悪質なサラ金業者が法外な利息を取って厳しく取り立てたことを苦にした-などの理由や、いじめが背景にあったときなどは当然報道した。
他の要素としては自殺の仕方である。列車に飛び込んだり、ビルの屋上から飛び降りたりすれば、他人に影響が及ぶので報道する。話題性から有名人の場合も記事になる。普通の人の場合は動機、背景というものをいかに正確に把握するかが報道するかどうかのカギになる。亡くなった人から取材はできないので、「遺書はあったのか。何が書いてあったのか」などとしつこく警察官に聞くことになる。
あるとき、警察の幹部がこう言った。
「遺書と言っても必ずしも本当のことが書いてあるとは限らない。人間は死ぬときでもうそをつくことがある。いい格好をしたいからな」
これには目からうろこであった。かくして自殺の取材は難しい。
それよりも、こうした事件でつらいのは、残された家族の終わることのない悲しみを知るからである。
いや、その当時から自殺報道の基準として、病苦などは書かないという決まりごとがあった。社会的に影響がないからという理由である。もっと端的に言うと、記事にするかどうかの基準は社会的な状況を反映しているか否かだ。当時としては悪質なサラ金業者が法外な利息を取って厳しく取り立てたことを苦にした-などの理由や、いじめが背景にあったときなどは当然報道した。
他の要素としては自殺の仕方である。列車に飛び込んだり、ビルの屋上から飛び降りたりすれば、他人に影響が及ぶので報道する。話題性から有名人の場合も記事になる。普通の人の場合は動機、背景というものをいかに正確に把握するかが報道するかどうかのカギになる。亡くなった人から取材はできないので、「遺書はあったのか。何が書いてあったのか」などとしつこく警察官に聞くことになる。
あるとき、警察の幹部がこう言った。
「遺書と言っても必ずしも本当のことが書いてあるとは限らない。人間は死ぬときでもうそをつくことがある。いい格好をしたいからな」
これには目からうろこであった。かくして自殺の取材は難しい。
それよりも、こうした事件でつらいのは、残された家族の終わることのない悲しみを知るからである。