なぜ歩き続けられたのかは自分でもよく分からない。高知県に入ったことで、行けるところまで歩こう、本当にダメならそのときに決めればいいと開き直ったのかもしれない。さまざまな人が「お気をつけて」「頑張って」と声を掛けてくれたから、その人たちを裏切れなくなったとも言える。
遍路中唯一、観光船に乗って息抜きしたときでさえ、乗り合わせた若い女性たちから声を掛けられ、
「頑張ってください」
「最後まで行ってください」
などと何度も言われた。そのときは遍路修行でなく遊んでいるので決まりが悪かったが、「ありがとうございます」と答えて、心から感謝した。
それからは、「最後まで歩かれるのですか」と数多くの人に聞かれたが、答えはいつも「足の具合次第ですね。行けるところまで行きます」と答えた。それは本音には違いなかったが、心の中では「行くぞ!」と決意していた。
実は、この辺りから精神がより透明になってきたような気がする。緑の山、透明な川、黄金色の稲穂……。何を見ても美しく感じ、声を掛けてくれた人の心の優しさが身にしみた。そして時間はゆったりと流れた。厳しい山中の歩行さえ、竹薮を見ると立ち止まってその青々とした美しさを愛で、商店街を歩くときは生活のにおいをかいで幸せな気持ちになった。
道端で買い物用の手押し車に座って話し込むおばあちゃんたちが、こちらに向かって合掌する。私は深々と頭を下げて「南無大師遍照金剛……」と片手合掌する。映画の一シーンのように一つひとつのことが感動を与えてくれ、生きている幸せを感じさせてくれたのである。
こうした時間や金の使い方が、ぜいたくだと言われたこともあった。確かにその通りである。だが、悠久の時の流れからすると、われわれ人間の一生は瞬きする程度の時間に過ぎない。一生のうち、自分と向き合う時間は貴重である。お金にしても墓場までは持っていけない。すべて使い方次第だ。この世に生を受けた幸運に感謝できる。それにまさるものはない。
遍路中唯一、観光船に乗って息抜きしたときでさえ、乗り合わせた若い女性たちから声を掛けられ、
「頑張ってください」
「最後まで行ってください」
などと何度も言われた。そのときは遍路修行でなく遊んでいるので決まりが悪かったが、「ありがとうございます」と答えて、心から感謝した。
それからは、「最後まで歩かれるのですか」と数多くの人に聞かれたが、答えはいつも「足の具合次第ですね。行けるところまで行きます」と答えた。それは本音には違いなかったが、心の中では「行くぞ!」と決意していた。
実は、この辺りから精神がより透明になってきたような気がする。緑の山、透明な川、黄金色の稲穂……。何を見ても美しく感じ、声を掛けてくれた人の心の優しさが身にしみた。そして時間はゆったりと流れた。厳しい山中の歩行さえ、竹薮を見ると立ち止まってその青々とした美しさを愛で、商店街を歩くときは生活のにおいをかいで幸せな気持ちになった。
道端で買い物用の手押し車に座って話し込むおばあちゃんたちが、こちらに向かって合掌する。私は深々と頭を下げて「南無大師遍照金剛……」と片手合掌する。映画の一シーンのように一つひとつのことが感動を与えてくれ、生きている幸せを感じさせてくれたのである。
こうした時間や金の使い方が、ぜいたくだと言われたこともあった。確かにその通りである。だが、悠久の時の流れからすると、われわれ人間の一生は瞬きする程度の時間に過ぎない。一生のうち、自分と向き合う時間は貴重である。お金にしても墓場までは持っていけない。すべて使い方次第だ。この世に生を受けた幸運に感謝できる。それにまさるものはない。