歩き遍路の旅は快適でもなければ、便利でもない。毎日、足の痛みとの戦いである。歩き始めて一週間、徳島県内を巡拝しているときは、「なぜこんなことをしているのか」と疑問を感じ、気軽な気持ちで遍路に出たことを後悔したのも事実だ。

「徳島県内を打ち終えたら帰ろう」と何度も考えた。そのことをカミさんにメールで伝えたら、「男がこうするといったん決めて、出掛けたものを途中で放棄するとはなにごと。情けない! 満願果たすまで帰ってこないで」と厳しく冷たい返信があった。
 仕方なくそのあとも歩いていたのだが、「歩き遍路を甘く見ていた」「なめてた」と何人ものお遍路さんから聞いたから、くじけそうになったのは、私だけのことではないのだろう。
 私は生まれつき、くるぶしとは反対側の骨が変形して、少し出っ張っている。日常生活には事欠かないが、長く歩くとその周辺が痛むのである。しかし、こうやって歩き遍路を全うできたのだから、それほどひどいわけではない。ただ、長い間、足をかばって生きてきたため、歩き慣れていないということも大きかっただろう。

 昔の人は移動するには歩くしかなかったから、現代人とは大きく異なる。駕籠や馬があるとは言っても、通常はどこへ行くのも二本の足が頼りだ。生まれたときから死ぬまで、長い距離を歩いている。だから、現代人には到底、及びもつかない健脚であった。

 たとえば、江戸・日本橋から京・三条大橋までの東海道五十三次は距離にして約五〇〇キロある。江戸時代の人は一〇日で歩くという。大雨で川止めになったりするから通常は二週間ぐらいかかったとはいえ、毎日フルマラソン以上の距離を歩くのは驚異的である。一日や二日ならともかく、毎日である。
 ついでに言えば、郵便物を運んだ飛脚は、宿場ごとに次々とリレーする駅伝のようなものだが、東海道は通常六日、最も速いものでは三日という。体も頑健だったのだろう。人を乗せて運ぶ駕籠かきなど、現代人ではとても務まるものではない。

 こんな江戸時代の人から見れば、われわれ現代人は脚力、体力が著しく落ちた。退化したと言ってもいい。見方を変えれば、四国遍路も道はよくなったとはいえ、昔の人より相対的に厳しいものになっているのかもしれない。

 私の場合も休み、休み、歩いた。ところが、いったん休憩したあとに歩き出したときの足の痛さときたら、たとえようもない。とにかく歩きを再開しての一〇〇辰二〇〇辰阿蕕い蓮△泙襪把狭睥霄圓里茲Δ法△修蹐修蹐搬を運ぶしかない。みっともないから、できるだけ普通に歩こうとすると余計に痛む。我慢して前進していると感覚がマヒするのか、不思議と痛みは治まって普通に歩けるのである。だが、疲れてまた休憩する。再び歩き出すと痛みが襲ってくる。この繰り返しだ。