四国遍路で言う「お接待」とは、一般の人がお遍路さんに対して物や金を喜捨することである。お大師様(弘法大師)と同行二人で修行するお遍路さんへの敬いの気持ちや、八十八カ所を巡ることができない自分に代わってお参りをしてほしいという意味、さらにはお接待をすること自体が仏教で言う功徳に当たるからだ。いや、頑張っているお遍路さんを少しでも助けたいという純真な気持ちと言ったほうがいいかもしれない。
「お遍路さん、お遍路さん」と、おばあちゃんに呼び止められ、百円玉や五百円玉を渡される。当たり前のことだが、私自身、通りすがりの人にお金を恵んでもらうなどということは、かつて経験したことがなかった。最初は、とまどって「南無大師遍照金剛」と、お大師様のご宝号を唱えることさえ恥ずかしかった。まるで、自分が社会の最も弱い層に属しているかのような気持ちさえした。
しかし、こうしたお接待を何度も受けると、どんなに苦しくても真面目に巡礼を続けなくてはならないと思うようになった。温かい言葉もそうだ。苦しい道中を支えたのは、まさに四国の人々の励ましだった。生きて、歩いて、お参りして、それらすべてが世間の人々のおかげで成り立っている。そんなことが実感されるようになった。
遍路の白装束のまま買い物に立ち寄ったコンビニでも、お金を払いながら、「ありがとうございました」と言っている自分がいた。形だけの挨拶でなく、物を売ってもらって「心からありがたい」のである。そんな経験はかつてなかった。のどが渇く。それを癒してくれる飲み物を売ってくれる。腹痛を我慢して歩いていて、用を足させてくれる店がある。泊めてもらった宿にしてもそうだ。そこを断られたら行くところがない。足が痛い。早く横になりたい。お風呂に入りたい。宿泊予約の電話をして、「どうぞ、おいでください」といわれたときは、「助かった」「ありがたい」と思う。自然とそんな気持ちになる。
宿に着いてからも、「遠慮しないで、洗濯物を出してください」などと、商売上の儀礼ではない真に心のこもった言葉、励ましが続いた。
「生きているのではなく、生かされている」
「おかげさまで」
よく言われる、こんな言葉を素直に受け入れることが出来た。以来、こうした心をずっと持ち続ければ、誰でも幸せになれることに気がついた。問題は、「生かされている」という感謝の気持ちを、どう持続させられるかに過ぎないのである。
遍路から帰ると、何の変哲もない日常や厳しい現実が待っていたが、心は前より澄んでいるし、なぜだか物事にあまり動じることがなくなった。もちろん、すべての煩悩が解消したわけではない。いまだに煩悩だらけである。しかし、今を精いっぱい、かつ心穏やかに生きようと思う気持ちは強くなった。
この世には、どう生きればいいのか迷っている人、なぜ、自分だけが不幸なのだと思い込んでいる人が多い。そんな人たちが、どうしたら自分自身に負けずに幸せになれるのか。生命力、人間力を高めるにはどうしたらいいのか、人生の成功者とは何か―など、末世とも思えるほどの病んだ現代社会における幸せの分かれ道「内なる心」の問題を遍路道中と絡めながら、これから解きほぐしていきたい。
「お遍路さん、お遍路さん」と、おばあちゃんに呼び止められ、百円玉や五百円玉を渡される。当たり前のことだが、私自身、通りすがりの人にお金を恵んでもらうなどということは、かつて経験したことがなかった。最初は、とまどって「南無大師遍照金剛」と、お大師様のご宝号を唱えることさえ恥ずかしかった。まるで、自分が社会の最も弱い層に属しているかのような気持ちさえした。
しかし、こうしたお接待を何度も受けると、どんなに苦しくても真面目に巡礼を続けなくてはならないと思うようになった。温かい言葉もそうだ。苦しい道中を支えたのは、まさに四国の人々の励ましだった。生きて、歩いて、お参りして、それらすべてが世間の人々のおかげで成り立っている。そんなことが実感されるようになった。
遍路の白装束のまま買い物に立ち寄ったコンビニでも、お金を払いながら、「ありがとうございました」と言っている自分がいた。形だけの挨拶でなく、物を売ってもらって「心からありがたい」のである。そんな経験はかつてなかった。のどが渇く。それを癒してくれる飲み物を売ってくれる。腹痛を我慢して歩いていて、用を足させてくれる店がある。泊めてもらった宿にしてもそうだ。そこを断られたら行くところがない。足が痛い。早く横になりたい。お風呂に入りたい。宿泊予約の電話をして、「どうぞ、おいでください」といわれたときは、「助かった」「ありがたい」と思う。自然とそんな気持ちになる。
宿に着いてからも、「遠慮しないで、洗濯物を出してください」などと、商売上の儀礼ではない真に心のこもった言葉、励ましが続いた。
「生きているのではなく、生かされている」
「おかげさまで」
よく言われる、こんな言葉を素直に受け入れることが出来た。以来、こうした心をずっと持ち続ければ、誰でも幸せになれることに気がついた。問題は、「生かされている」という感謝の気持ちを、どう持続させられるかに過ぎないのである。
遍路から帰ると、何の変哲もない日常や厳しい現実が待っていたが、心は前より澄んでいるし、なぜだか物事にあまり動じることがなくなった。もちろん、すべての煩悩が解消したわけではない。いまだに煩悩だらけである。しかし、今を精いっぱい、かつ心穏やかに生きようと思う気持ちは強くなった。
この世には、どう生きればいいのか迷っている人、なぜ、自分だけが不幸なのだと思い込んでいる人が多い。そんな人たちが、どうしたら自分自身に負けずに幸せになれるのか。生命力、人間力を高めるにはどうしたらいいのか、人生の成功者とは何か―など、末世とも思えるほどの病んだ現代社会における幸せの分かれ道「内なる心」の問題を遍路道中と絡めながら、これから解きほぐしていきたい。