
外に出たら、フュージョンのシートはひどく熱せられ、何とか我慢して座った。時折、お尻を上げて走る。まだまだ先は長い。海部町から海南町を通り、番外霊場・鯖大師(さばだいし)を過ぎると牟岐町だ。このあたりから海とはお別れで、内陸部に入ってきた。JR牟岐線とほぼ並行して進む。日和佐トンネルを抜けると、間もなく薬王寺だ。山の中腹に朱色をした瑜祇塔(ゆぎとう)が堂々と建っている。高さが二九メートルあり、遠くから目立つ。最御崎寺から約七五キロ。よく走ってきたものだ。
この間、お遍路さんを一〇人ぐらい見かけた。自転車の前後輪両サイドに四つのバッグを付けた若者。実用自転車の荷台に大きな荷物を積んだ白いひげのおじいさん。菅笠を被り遍路の正装をして歩く外国人。外国人はほかにも一人いた。もちろん、外国人遍路は集団では参拝しない。たいてい一人で歩いている。だから歩き遍路に占める割合はすごく高い。
日本人より宗教心があって、遍路にも興味があるのだろうか。真偽のほどは分からない。ただ、足が速くて強い。コンパスの問題ではないだろう。車依存の日本人が弱くなったのだ。特に地方では家の近くの自販機へ車で行くくらいで、都会の人より歩かない。かつて、江戸から京都まで一〇日ないし二週間で歩くのが標準だったという先祖から見れば、退化したと言っていいかもしれない。そんなことをついつい考えてしまう。
薬王寺は国道沿いで交通量は結構あるが、門前に空間があったので、そこに停めることにした。いきなり石段が始まる。仁王門を超えてさらに女厄坂が三三段、男厄坂が四二段あり、ようやく本堂に着く。石段に一円玉や一〇円玉がいっぱい落ちているが、これは厄年の人が年の数だけ賽銭を置くと厄を落とすと言われているからだそうだ。もちろん、定期的に集めては危険防止をしているという。
お参りを終えて景色を眺める。日和佐の町や、赤海亀が産卵に来るので有名な大浜海岸が見える。自然環境に恵まれたところだ。ふと、なぜ海亀は教えられもしないのに、この海岸へ来て産卵するのだろうと、変なことを考え始めた。それも大潮の日に、子孫を残すため命がけで陸に上がってきて、産卵場所の砂を掘る深さまで一定だという。
もちろん、DNAに書いてあるからと言ってしまえばおしまいだが、それなら人間はどうなのだろう。太古の昔から受け継がれてきた決まりごとは、ちゃんとあるのだろうか。そして実行しているのだろうか。
セミ時雨の中、ベンチに座って「人間とは……」などと考えていると、いきなりミュージックサイレンが町中に鳴り響いた。正午である。曲は「恋は水色」であった。しゃれていて、一気に現実に引き戻された。(つづく)