「モーモーが来るぞ!」
子供のころ、言うことを聞かないと年寄りからこう言われた。昭和30年ごろのことである。
大相撲で活躍中のモンゴル勢には申し訳ないが、「蒙古襲来」を意味していた。日本中を恐怖に陥れた750年ぐらい前のことが延々と受け継がれてきたのか、それとも近年になってつくられた言葉かどうかは知らない。遊んでいて遅く帰ってきたり、夕方から外に出ようとしたら、
「人さらいが来る」という脅しもあった。
しかし、実際には、そんな危険性は少なかった。旧街道沿いに生まれ育ち、周りは商店だった。近所の人はたいてい顔見知りである。ついでに言えば、いくつかの家で飼っている犬は放し飼いであり、子供たちの友達だった。放し飼いだから犬もストレスがない。近所の家の犬が毎日、我が家の玄関に来て、番犬をしていたこともあった。子供たちは自由に遊び、夕方、家に帰った。「三丁目の夕日」を実感として受け止められる世代である。
今住んでいる家の裏は、狭い道を挟んで高等学校のグラウンドだ。かつて、生徒たちがいないときは、子供を連れてキャッチボールをしたり、ブーメランや模型飛行機を飛ばしたりしていた。
それが大阪・池田小学校事件のあと、封鎖された。遊び場がなくなって残念だが、仕方がないと思う。地域に開かれた学校であるべきという理念と、現実のギャップである。
幼い子供が犠牲になる事件が、今度は秋田で起きた。4月に発生した水死と見られている事故も再捜査となりそうだ。犠牲になった子供の親の気持ちを考えるといたたまれないし、犯人を心から憎む。いったい、この国はどうなってしまったのだろう。
「検挙は最大の防犯」という言葉がある。必ず捕まえることが犯罪を抑止するというものだ。しかし、周囲とかかわりを持たず個人主義的な生き方のほうを人々は選択して、捜査も検挙も難しくなった。生活自体が車での移動により広域化したこともある。
もう一つの抑止の手法は厳罰化である。もともと、刑罰は「目には目を、歯には歯を」で罪に応じた刑を科すという考え方と、「改心して、真っ当な人間になれ」と教育するのが刑罰であるという考え方がある。理念的には教育刑が正しいのだろう。ところが現実は教育で感化されない人間が増えてきた。要は自分中心で、他者のことを考えることができない人間が激増しているように思える。人間が人間でなくなっていくような気さえする。
「誰が見ていなくても、お天道様(神様。仏様)が見ている」という教えが、まったくない現代。変わって監視カメラが張り巡らされる次代となるのか。家庭はもちろん、政治家、教育者、宗教者らが立ち向かわねば、この国に明るい未来はないことだけは確かだ。
子供のころ、言うことを聞かないと年寄りからこう言われた。昭和30年ごろのことである。
大相撲で活躍中のモンゴル勢には申し訳ないが、「蒙古襲来」を意味していた。日本中を恐怖に陥れた750年ぐらい前のことが延々と受け継がれてきたのか、それとも近年になってつくられた言葉かどうかは知らない。遊んでいて遅く帰ってきたり、夕方から外に出ようとしたら、
「人さらいが来る」という脅しもあった。
しかし、実際には、そんな危険性は少なかった。旧街道沿いに生まれ育ち、周りは商店だった。近所の人はたいてい顔見知りである。ついでに言えば、いくつかの家で飼っている犬は放し飼いであり、子供たちの友達だった。放し飼いだから犬もストレスがない。近所の家の犬が毎日、我が家の玄関に来て、番犬をしていたこともあった。子供たちは自由に遊び、夕方、家に帰った。「三丁目の夕日」を実感として受け止められる世代である。
今住んでいる家の裏は、狭い道を挟んで高等学校のグラウンドだ。かつて、生徒たちがいないときは、子供を連れてキャッチボールをしたり、ブーメランや模型飛行機を飛ばしたりしていた。
それが大阪・池田小学校事件のあと、封鎖された。遊び場がなくなって残念だが、仕方がないと思う。地域に開かれた学校であるべきという理念と、現実のギャップである。
幼い子供が犠牲になる事件が、今度は秋田で起きた。4月に発生した水死と見られている事故も再捜査となりそうだ。犠牲になった子供の親の気持ちを考えるといたたまれないし、犯人を心から憎む。いったい、この国はどうなってしまったのだろう。
「検挙は最大の防犯」という言葉がある。必ず捕まえることが犯罪を抑止するというものだ。しかし、周囲とかかわりを持たず個人主義的な生き方のほうを人々は選択して、捜査も検挙も難しくなった。生活自体が車での移動により広域化したこともある。
もう一つの抑止の手法は厳罰化である。もともと、刑罰は「目には目を、歯には歯を」で罪に応じた刑を科すという考え方と、「改心して、真っ当な人間になれ」と教育するのが刑罰であるという考え方がある。理念的には教育刑が正しいのだろう。ところが現実は教育で感化されない人間が増えてきた。要は自分中心で、他者のことを考えることができない人間が激増しているように思える。人間が人間でなくなっていくような気さえする。
「誰が見ていなくても、お天道様(神様。仏様)が見ている」という教えが、まったくない現代。変わって監視カメラが張り巡らされる次代となるのか。家庭はもちろん、政治家、教育者、宗教者らが立ち向かわねば、この国に明るい未来はないことだけは確かだ。