

国道三二一号線を北上し、海沿いの道を走った後、下ノ加江川に沿ってさかのぼる。新伊豆田トンネル(全長一六二〇メートル)を抜け、中村市に入った。いや、ここもいまや合併で、四万十市というそうだ。
中村は三〇年以上前に訪れたとき、国鉄の終着駅であった。その先は路線バスで愛媛に向かったことからよく覚えている。バスの車掌が若い男性で、案内がすごく丁寧だったのが印象深い。停留所では、まず自分が下車してからお客を下ろす。そうしたきちんとした対応に感心したものだ。おかげで中村という地名を知っていたし、愛着もある。日本に残された最後の清流・四万十川のあるところというイメージも強かった。それが今は四万十市である。
その四万十川の河口に最も近い四万十大橋を渡り、田野浦からまた海沿いを走る。国道五六号線に戻って北上。ところどころで、土佐くろしお鉄道中村線の線路と並行する。佐賀町からは再び内陸部に入って、どんどん高度を稼ぐ。「二けた国道」だけに走りやすいのは言うまでもない。
「三十七番札所・岩本寺(いわもとじ)」は、窪川町の中心部にある。足摺岬の突端から優に九〇キロ近くの道のりだった。日差しが戻って、真夏の太陽が容赦なく降り注いでいる。雨は嫌だが、上がれば暑い。どちらもかなわないが、これも修行である。とはいえ、商店や住宅が建ち並ぶ真ん中にあるお寺の門前の駐車場に停めて、腕カバーを外したときは正直、ほっとした。
納経所の前に置かれたベンチには初老の夫婦遍路がリュックを脇に置いて座っていた。二人とも穏やかな表情で、その性格や暮らしぶりが分かるほどだった。「区切り打ち」だそうで、明日帰るのだと言う。こんなのもいいな……と思う。仕事の合間をみて、休暇が取れたらいくつか回る。そして残りは次の楽しみに取っておく。下手な休暇の使い方より、はるかに充実しているだろう。
「一日に二〇キロぐらいしか歩けないですよ」と言うが、それで十分である。何度も言うが、お遍路は速さや脚力を競うものではない。人によって目的は違うだろうが、自分や人生というものを見詰めなおすのに絶好の機会であるということだけだ。ならば、十分味わうに限る。あとから「何の印象もなかった」「よく覚えていない」では仕方がないだろう。
もう一つは、夫婦遍路のように、夫婦が同じ時間・空間を過ごせることの意義だ。現実社会ではなかなかそうした心のゆとりを持つことは難しい。支えあって遍路ができる幸せみたいなものを感じられて、うらやましくもある。(つづく)