
次の「四十五番札所・岩屋寺(いわやじ)」までは、やや遠い。浄瑠璃寺から一〇〇メートル余り行くと、小さな看板が出ていて右へ行く道を進む。これがやたらと狭い。すぐに急坂にもなる。いくらなんでもおかしいと、いったん停めて地図を確認すると道は太い線で書かれていて違和感はあるものの、間違ってはいないようだ。
そこで、どんどん山の中へ行く。舗装はしてあるが道幅は一定ではない。おおむね一車線で、杉の葉や砂利が道路の真ん中に堆積している。まるで林道のようだ。とにかく路面に気をつけながら右に左にコーナリングしていくと、あっという間に平野部が眼下に見えてきた。あまりに美しいので写真を撮ろうかと思ったが、まだまだいいところがあるだろうと先を急いだ。
こんな道でも対向車が二台あった。すれ違うのに、こちらはぎりぎり路肩に寄せてかわす。そうこうするうちに、急に大きな道に出た。国道三三号線である。写真を撮るチャンスは失ったが、林道を上り詰めたところに、こうした快適な道があるのは不思議な感じがする。
交通量も多く、かなり速いスピードで流れている。こちらも気合を入れて、次々と現れる大きなカーブを右に左に車体をバンクさせながら走る。実に気持ちいい。
一〇キロほどで、三坂峠を越えた。ここは標高七一〇メートル。かなり高いところまで来てしまっていた。峠を越えるとあとは下り坂だ。国道とはいえ山間部なので、ずっと信号がない。だからこそスピードも出るのだろう。まずは久万町の中心部まで行く。
標識にしたがって左折し、県道一二号線に入った。こちらの道も快適だ。分岐点から一〇キロあまり。綾瀬川を渡ると岩屋寺の参道である。
ここは八十八カ所の霊場で、駐車場と本堂が最も離れているお寺である。誰もが約二〇分をかけて石段を上らなくてはならない。足の弱い人だと三〇分はかかるだろう。険しい岩山だから、道をつけられなかったのか、山全体が本尊として守られてきたから、あえて開発しなかったのかは知らない。
参道の入り口の有料駐車場に入れようとしたら、おじさんが、「こっちに寄せておいて」と手招きしてくれた。「いくらですか?」と聞いたら「バイクは、ただでいいよ」と。
そこで、例のごとく、話し始めたらすっかり打ち解けてしまった。この人、標準語を使うので、聞いてみると去年の一二月に東京から帰ってきたのだという。吉岡卓さん(六二歳)。ここの生まれだが、東京に出て長年サラリーマン生活を送ってきたという。
「定年を機に帰ってきたが、女房、子供は田舎が嫌だというので、単身帰郷だよ。ここは、いいところなんだがね」
「そりゃ、お寂しいですね」と答えたものの、現代社会の一端を垣間見る思いであった。しかし、吉岡さんは意外に淡々としていて、
「村では若い者が帰ってきたと大喜びだった。これでもここでは若い者だ」と笑う。
駐車場の管理だけでなく、その前にある土産物店は人に貸しているという。
「お大師様の力はすごい。こうしていろんなところから人が来て、自分たちが生活できるのだから」と。素直な人である。
「帰りに何か買いますよ、冷たいものでも」と答えて、坂を上り始めた。
予想していたより、二〇分の行程は楽だった。鐘の音が「ゴ~ン」と聞こえてくるのが、励みになった。上り詰めたところに本堂があるが、前年、歩いてきたときは、山の上から下りてきて、この寺に着いたのである。
歩きでは、登山道のような山道を延々と行く。途中には胸突き八丁ともいうべき急坂の八丁道や、逼割禅定(せりわりぜんじょう)と呼ばれるところも通った。巨岩が裂けていることころで、鎖をつたって上る行場である。許可がないと行場は上れないが、そうした山を越えて来たことを考えれば、この上りは全くたいしたことがない。(つづく)