一期一会のお接待
次の「五十四番札所・延命寺(えんめいじ)」も三キロ半ほどしか離れていない。しかし、またやってしまった。歩き遍路用の地図では、五十三番と五十四番の寺は別々の地図に表記してある。それも東西南北がちょうど九〇度傾いているのに気が付かず、適当に走ったら混乱し始めた。ぐるぐると周辺を回って無駄な時間を費やしてしまった。
延命寺という名前がいかにも素敵で、知り合いの人々や家族の健康を祈ったが、本尊は薬師如来ではなく不動明王である。ここも最初は静かだったが、また団体さんのバスが来た。みんなが帰ったあとに駐車場へ行くと、トイレの前で女性たちが順番待ちして残っている。こちらはまず装備だ。サングラスを付け、ヘルメットを被り、軍手と腕カバーをする。そこへ残っていた二人のおばちゃんのうちの一人が話しかけてきた。
「どちらから? そう、富山なの。遠いところから……」
「去年歩いて回ったので、今年はお礼参りというか、お世話になった人たちに挨拶するために、スクーターで来たんです」
「そうなの、私は四回目。最初のときに歩いたのよ」
「えーっ、すごいなあ。大先輩だ」。こんな会話をしていたら、いきなり財布から一〇〇〇円札を取り出して、
「これ、私の気持ち。お接待」と差し出した。
歩いていたときは、何度もお接待を受けた。一〇〇円玉から五〇〇円玉、一〇〇〇円札、それにお茶やジュース、手作りマスコットまで。もちろん、お大師様と同行二人だからこそ、人々は喜捨をするのであり、自分の功徳を積むことになるのは分かっている。
それでもなお、通りがかりの見ず知らずの者に、これほどまでにお接待してくれることにとても気恥ずかしい気持ちがした。見知らぬ人からお金や物をもらう経験などなかったからだ。同時に不思議な感動と感謝の気持ちでいっぱいになった。お接待を受けるたびに、
「南無大師遍照金剛。ご家族の幸せをお祈りいたします」と述べて、両手でいただいた。
お接待は断らないものという不文律がある。「お接待をしようとする人の気持ちを無にするな」ということである。しかし、それは歩いているからこそ、だ。スクーター遍路では、いただく気にはならない。当たり前だ。
「とんでもない。お遍路さんからいただくわけにはいきませんよ。歩いているわけでもないし……」
「いいのよ、これで何か飲んで」
「いや、困ります」
「気にしないで。本当に気持ち。気を付けて行ってね」
急に胸がジーンと熱くなった。
「ありがとうございます」
これしか言えなかった。「南無大師遍照金剛」とお大師様のご宝号を唱えることさえ出来なかった。ありがたく両手で頂戴してそのまま拝み、財布ではなくて頭陀袋に入れた。家まで持って帰ろうと思ったのである。人生は一期一会という。その人と二度と会うことはない。しかし、いつまでも記憶に残ることは間違いない。(つづく)
次の「五十四番札所・延命寺(えんめいじ)」も三キロ半ほどしか離れていない。しかし、またやってしまった。歩き遍路用の地図では、五十三番と五十四番の寺は別々の地図に表記してある。それも東西南北がちょうど九〇度傾いているのに気が付かず、適当に走ったら混乱し始めた。ぐるぐると周辺を回って無駄な時間を費やしてしまった。
延命寺という名前がいかにも素敵で、知り合いの人々や家族の健康を祈ったが、本尊は薬師如来ではなく不動明王である。ここも最初は静かだったが、また団体さんのバスが来た。みんなが帰ったあとに駐車場へ行くと、トイレの前で女性たちが順番待ちして残っている。こちらはまず装備だ。サングラスを付け、ヘルメットを被り、軍手と腕カバーをする。そこへ残っていた二人のおばちゃんのうちの一人が話しかけてきた。
「どちらから? そう、富山なの。遠いところから……」
「去年歩いて回ったので、今年はお礼参りというか、お世話になった人たちに挨拶するために、スクーターで来たんです」
「そうなの、私は四回目。最初のときに歩いたのよ」
「えーっ、すごいなあ。大先輩だ」。こんな会話をしていたら、いきなり財布から一〇〇〇円札を取り出して、
「これ、私の気持ち。お接待」と差し出した。
歩いていたときは、何度もお接待を受けた。一〇〇円玉から五〇〇円玉、一〇〇〇円札、それにお茶やジュース、手作りマスコットまで。もちろん、お大師様と同行二人だからこそ、人々は喜捨をするのであり、自分の功徳を積むことになるのは分かっている。
それでもなお、通りがかりの見ず知らずの者に、これほどまでにお接待してくれることにとても気恥ずかしい気持ちがした。見知らぬ人からお金や物をもらう経験などなかったからだ。同時に不思議な感動と感謝の気持ちでいっぱいになった。お接待を受けるたびに、
「南無大師遍照金剛。ご家族の幸せをお祈りいたします」と述べて、両手でいただいた。
お接待は断らないものという不文律がある。「お接待をしようとする人の気持ちを無にするな」ということである。しかし、それは歩いているからこそ、だ。スクーター遍路では、いただく気にはならない。当たり前だ。
「とんでもない。お遍路さんからいただくわけにはいきませんよ。歩いているわけでもないし……」
「いいのよ、これで何か飲んで」
「いや、困ります」
「気にしないで。本当に気持ち。気を付けて行ってね」
急に胸がジーンと熱くなった。
「ありがとうございます」
これしか言えなかった。「南無大師遍照金剛」とお大師様のご宝号を唱えることさえ出来なかった。ありがたく両手で頂戴してそのまま拝み、財布ではなくて頭陀袋に入れた。家まで持って帰ろうと思ったのである。人生は一期一会という。その人と二度と会うことはない。しかし、いつまでも記憶に残ることは間違いない。(つづく)