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 先日、ローライフレックスというドイツ製の二眼レフの話を書いたら反響があった。そこで調子に乗り、国産の古いカメラについても触れておきたい。
 現代のカメラしか触ったことのない人にしてみれば、一枚写すまでの厄介さは想像もできないだろう。まさに、カメラというより写真機である。

 マミヤユニバーサルプレスというのは名前から分かるように、かつては報道用にも使われた。
 写真に詳しくない人のために細かな説明をするが、普通のフイルムの一枚当たりの大きさは24×36ミリである。これを電球で投影し、引き伸ばして印画紙に焼き付けたものが写真だ。
 このユニバーサルプレスは6×9判と言って、一枚当たりのフイルム面積は縦が56ミリ、横幅が83ミリもある。

 ということは、最初から細かな部分まで写っているし、何より写真にするときに引き伸ばし倍率が小さくて済む。簡単に言えば、樹木を撮っても一枚一枚の葉っぱまで鮮明に描写できるというわけだ。デジカメで言えば、画素数の極端に多い最高級機種である。

 このカメラは、県警山岳警備隊の隊員が個人で使っていたものを30年ほど前に譲り受けた。山岳警備隊とは、北アルプスなど山岳地帯を抱える警察が遭難救助などのために組織している。つまり、山のおまわりさんだ。

 当時、さつまわり(警察担当記者)をしていたが、刑事たちとは一味違う山男たちの雰囲気に部屋を訪れるのが楽しく、また仲良くもなって、いろんな話を聞いたものだ。
 こうした山警隊の人たちは元々、山好きであり、趣味で山の写真も撮っている。そのときの話では6×6判一眼レフを使っていたが、厳寒の冬山ではボディーのフォーカルプレーンシャッター(幕を動かすシャッター)やミラーの跳ね上げが作動しなくなることがあって、レンズに金属シャッターが付いているユニバーサルを買ったという。だが、理由は忘れたものの、もう使わないからとのことで譲り受けたわけだ。

 すでに世間では一眼レフの時代に入っていたが、なぜだか6×9判という大きさに憧れた。もしかすると人と違うものを持ちたかっただけかもしれない。
 レンズは標準の100ミリF3.5と広角の50ミリF6.3が付いていた。付属品も含めて専用カメラバッグごと一式3万円だった記憶がある。

 さて、このカメラ。バッグから出すと、まず組み立てなくてはならない。レンズ、胴体、そしてフイルムホルダーと3つに分かれているのだ。さほど難しくはないが、6×4.5(セミ判)6×6判のサイズも選べるため、それに合った画面枠をフイルムホルダーに取り付けてからセットする。
 ついで、ブローニーフイルムを入れて蓋をすると、裏に金属のふたがついた窓が3つある。これはサイズごとの覗き窓であり、ふたを開けると赤い遮光板越しにフイルムの裏の紙が見える。そう、裏紙つきのフイルムを入れるのだ。ノブを回して巻き上げると裏紙に書かれた番号が現れる。番号のところで止めないと、最後まで巻き切ってしまう。1の数字が現れたら、最初のコマである。

 巻き上げとシャッターは連動していないから、次はシャッターをチャージする。これはレンズの横腹に出っ張っている金属のノブをいっぱいにひねる。これでバネの力でシャッターが引っ張られている状態になる。
 このあとピントを合わせ、これまたレンズについたシャッターボタンを押すのだが、たいていはレリーズを使って切る。「チャッ」と小さな音を立ててシャッターが切れる。振動はないに等しい。もちろん、露出計は付いていないので、レンズに付いたシャッター速度と絞りは勘でやるか、別の露出計が必要になる。
 2枚目も同じ動作がいる。もちろん、巻上げを忘れると二重に写ってしまう。

 いや、肝心なことを忘れていた。シャッターを切る前に、ボディーとフイルムホルダーとの間にある金属の仕切り板を抜かなくてはならない。そのままだと何も写らないのは当然だ。
 書けば切りがないが、実はファインダーもフイルムをどのサイズにするかでマスクがいるし、写る範囲を示す表示はレンズの焦点距離に応じた切り替えが必要だ。いや、付いていた50ミリレンズは、普通の35ミリ判のカメラに直すと22ミリの超広角となるため、専用のファインダーをストロボのシューに付けて覗くという代物である。

 これらのことは取扱説明書もないだけに、現物を見ながら覚えた。今のブラックボックス的なカメラとは違って、ちゃんと理解が出来るのである。
 さらに、慣れてしまえば操作は面倒でもない。6×9サイズで通せば、かなりの手間は省ける。それでも、今ではまさにマニア向けの写真機であろう。
 写したものは鮮明の一語に尽きる。普通のテレビとハイビジョンの違いより大きいだろう。要は写真館の写真と言ってもいい。

 こうしたものを扱うには、よほどの熱意がないと出来ない時代になった。なのに、二眼レフ同様、写していた時代の自分を振り返り、いつかその日が再び来るのでは-と思うだけで、手放せないのである。