キー紛失
大窪寺に着いたボクは、歩きと違って菅笠を持っていないから、雨よけにタオルを頭にかけて二天門をくぐり、石段を上がって本堂に向かった。雨で薄暗くなっているせいか、しゃれた街灯がかすかな光を放っている。本堂前には、「巳王大明神」と白抜き文字で書かれた赤や青、緑の幟が、モノトーンの世界に際立って鮮やかだ。その奥に夫婦遍路とおぼしき二人連れがいた。お経が実に上手で「本職かなあ」と思わせた。
たいていの遍路の読経は自己流が多いから、調子はまちまちである。ところが、この二人の読経は堂に入っているのである。杖の先に金属の輪がついた錫杖の音がする。普通の遍路は白木の金剛杖を持っているだけだから、確かに本職なのかもしれない。そう感心していたら、突然、「ブオーッ」という、ほら貝が鳴り響いた。男性のほうが、唇の横っちょにほら貝を当てて吹き始めたのだ。低く、高く……「プオォ~、プオォ~」と。
まさに、サイレンのようによく通るのである。大きな音が出せなかった時代に、ほら貝はすごい威力を持っていたのだろうな……と感心させられた。
そう言えば、大窪寺のご本尊は薬師如来だが、手には薬壷のほかに、ほら貝も持っているという珍しいものである。山伏でおなじみのほら貝は、厄難病苦を吹き払うという意味があるそうだ。
夫婦遍路に続いて、こちらも本堂でローソクを立て、線香に火をつけてから、経本を取り出す。開経偈(かいきょうげ)から始めて、ついで般若心経を唱えた。素人の下手くそな読経だが、かまわない。二度目の巡礼ということもあってか、割と堂々と唱えることができた。
本尊の薬師如来のご真言(マントラ)は「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」である。これを三度唱えて、悟りの世界へ入れてくださいと願うわけだ。そのあと、お大師様のご宝号である「南無大師遍照金剛」をこれまた三度唱える。これが最低限の巡拝作法である。
大師堂でも、先着の夫婦遍路のほら貝が終わったあと、読経した。「前年は無事に結願でき、ありがとうございました」と心の中でお礼を言っていた。もうちょっと感動するかと思ったが、意外に淡々とした気持ちだった。
雨は止むことがない。石段を下りてくると、土産物店のおばちゃんが、
「どうですか?お茶でも飲んでいってください。お接待しますよ」と声を掛けてきた。一瞬、その気になった。だが、前回はここで終わりだったので、お土産も買ったが、きょうはスタートである。頭を下げてフュージョンのところに戻り、ウエストバッグのリングにつけたキーを手探りで探した。ところが、
「ない」
キーがないのである。
慌てて、ウエストバッグの中を全部調べる。「もしかして……」と、経本や数珠、ローソクなどの入った頭陀袋の中もすべて見た。白装束のズボンのポケットも見てみる。だが、ない。
落としたのだ。
「う~」。頭の中が熱くなる。キーには人差し指大の革のキーホルダーが付いているだけ。目立ちにくい。仕方なく、今来た道を丁寧に戻りながら探す。二天門、本堂、大師堂……。先ほど歩いたとおりに再び下を見ながら一周した。それでも見つからない。
もちろん、予備のキーはバッグに入れてある。しかし、最初からこれでは先が思いやられる。困った。戻って、土産物店の前を通ると、先ほどと同じようにおばちゃんに言葉を掛けられた。それどころではない。あとフュージョンまで五メートルぐらいきたとき、道に何かが落ちている。
あった。先ほど見て通り過ぎたはずなのに、雨のせいで分からなかったのだろうか。なんのことはない。フュージョンのすぐ近くに落としていたのだ。ホッとすると同時に反省である。
いや、最初からキーを紛失したという事態は、その後、毎日何度も繰り返すキーの脱着をより慎重にし、常にウエストバッグに付いているか確認するようになったから、これはこれでお大師様のお導きだったのかもしれない。(つづく)
大窪寺に着いたボクは、歩きと違って菅笠を持っていないから、雨よけにタオルを頭にかけて二天門をくぐり、石段を上がって本堂に向かった。雨で薄暗くなっているせいか、しゃれた街灯がかすかな光を放っている。本堂前には、「巳王大明神」と白抜き文字で書かれた赤や青、緑の幟が、モノトーンの世界に際立って鮮やかだ。その奥に夫婦遍路とおぼしき二人連れがいた。お経が実に上手で「本職かなあ」と思わせた。
たいていの遍路の読経は自己流が多いから、調子はまちまちである。ところが、この二人の読経は堂に入っているのである。杖の先に金属の輪がついた錫杖の音がする。普通の遍路は白木の金剛杖を持っているだけだから、確かに本職なのかもしれない。そう感心していたら、突然、「ブオーッ」という、ほら貝が鳴り響いた。男性のほうが、唇の横っちょにほら貝を当てて吹き始めたのだ。低く、高く……「プオォ~、プオォ~」と。
まさに、サイレンのようによく通るのである。大きな音が出せなかった時代に、ほら貝はすごい威力を持っていたのだろうな……と感心させられた。
そう言えば、大窪寺のご本尊は薬師如来だが、手には薬壷のほかに、ほら貝も持っているという珍しいものである。山伏でおなじみのほら貝は、厄難病苦を吹き払うという意味があるそうだ。
夫婦遍路に続いて、こちらも本堂でローソクを立て、線香に火をつけてから、経本を取り出す。開経偈(かいきょうげ)から始めて、ついで般若心経を唱えた。素人の下手くそな読経だが、かまわない。二度目の巡礼ということもあってか、割と堂々と唱えることができた。
本尊の薬師如来のご真言(マントラ)は「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」である。これを三度唱えて、悟りの世界へ入れてくださいと願うわけだ。そのあと、お大師様のご宝号である「南無大師遍照金剛」をこれまた三度唱える。これが最低限の巡拝作法である。
大師堂でも、先着の夫婦遍路のほら貝が終わったあと、読経した。「前年は無事に結願でき、ありがとうございました」と心の中でお礼を言っていた。もうちょっと感動するかと思ったが、意外に淡々とした気持ちだった。
雨は止むことがない。石段を下りてくると、土産物店のおばちゃんが、
「どうですか?お茶でも飲んでいってください。お接待しますよ」と声を掛けてきた。一瞬、その気になった。だが、前回はここで終わりだったので、お土産も買ったが、きょうはスタートである。頭を下げてフュージョンのところに戻り、ウエストバッグのリングにつけたキーを手探りで探した。ところが、
「ない」
キーがないのである。
慌てて、ウエストバッグの中を全部調べる。「もしかして……」と、経本や数珠、ローソクなどの入った頭陀袋の中もすべて見た。白装束のズボンのポケットも見てみる。だが、ない。
落としたのだ。
「う~」。頭の中が熱くなる。キーには人差し指大の革のキーホルダーが付いているだけ。目立ちにくい。仕方なく、今来た道を丁寧に戻りながら探す。二天門、本堂、大師堂……。先ほど歩いたとおりに再び下を見ながら一周した。それでも見つからない。
もちろん、予備のキーはバッグに入れてある。しかし、最初からこれでは先が思いやられる。困った。戻って、土産物店の前を通ると、先ほどと同じようにおばちゃんに言葉を掛けられた。それどころではない。あとフュージョンまで五メートルぐらいきたとき、道に何かが落ちている。
あった。先ほど見て通り過ぎたはずなのに、雨のせいで分からなかったのだろうか。なんのことはない。フュージョンのすぐ近くに落としていたのだ。ホッとすると同時に反省である。
いや、最初からキーを紛失したという事態は、その後、毎日何度も繰り返すキーの脱着をより慎重にし、常にウエストバッグに付いているか確認するようになったから、これはこれでお大師様のお導きだったのかもしれない。(つづく)