鳴門に到着
本日は鳴門泊りである。鳴門を訪れるのは一九七三年三月一日以来、二回目。どうして正確に分かるかというと、当時、ボクはユースホステルの会員で、会員証に泊まった宿のスタンプが押してあるからだ。そのころ、若者たちの旅としてユースホステルを使うのは、ごく一般的なことだった。一泊二食で七〇〇円が標準だっただろうか。
こう書くと、ずいぶんと昔のことで、ボクも年寄りにみられるだろうが、ボクにとってはついこの間のことにしか思えない。「少年老いやすく学成りがたし」「光陰矢のごとし」である。時間というものは、先をみると長く感じるが、振り返ると瞬きする程度のものだ。だからこそ、今をもっと大事に生きたい。後悔する生き方はしたくない。与えられた人生という時間を無駄遣いしたくないのだ。
鳴門北インターチェンジで降り、料金を払ったら七一五〇円だった。うち本州四国連絡橋公団分が四二〇〇円と領収書に書いてあった。二輪車でも、この金額だ。橋は橋脚が高いだけではない。
市街地に入る。中心部をぐるっと回って、いくつか目に付いたビジネスホテルに予約電話を入れた。一つは満杯で断られたが、次に電話したところは取れた。午後四時半。休み休み来たとはいえ、よくここまで来られたものだ。
駐車場に停めてフロントへ行ったら、手にしていたヘルメットでバイク乗りと分かったのだろう。「バイクなら、こちらに停めてください」と案内されて、駐車場横の可動フェンスの中を指示された。荷物を下ろしながら、「フュージョン、よく頑張ったな」と声を掛けた。初日の走行距離は五一六キロ。本当に老骨にムチを打って順調に連れてきてくれた。相手は機械だが、自然と感謝の気持ちになる。
旅装を解いて部屋の風呂に入ったあと、フロントでもらった近辺の略図を見ながら、近くの食堂へ夕食を食べに行った。ホテルの近くにはJR鳴門線の鳴門駅がある。単線の始発駅というのか、終着駅というのか。町の中で、線路が切れているのが不思議な光景に見えた。
月曜とあって定休日の店が多く、ようやく古びた食堂できしめん定食というものを頼んだが、ご飯ときしめんではあまり合わなかった。それでも、久しぶりの旅路と自由な世界に、ひとり悦にいっていた。(つづく)
本日は鳴門泊りである。鳴門を訪れるのは一九七三年三月一日以来、二回目。どうして正確に分かるかというと、当時、ボクはユースホステルの会員で、会員証に泊まった宿のスタンプが押してあるからだ。そのころ、若者たちの旅としてユースホステルを使うのは、ごく一般的なことだった。一泊二食で七〇〇円が標準だっただろうか。
こう書くと、ずいぶんと昔のことで、ボクも年寄りにみられるだろうが、ボクにとってはついこの間のことにしか思えない。「少年老いやすく学成りがたし」「光陰矢のごとし」である。時間というものは、先をみると長く感じるが、振り返ると瞬きする程度のものだ。だからこそ、今をもっと大事に生きたい。後悔する生き方はしたくない。与えられた人生という時間を無駄遣いしたくないのだ。
鳴門北インターチェンジで降り、料金を払ったら七一五〇円だった。うち本州四国連絡橋公団分が四二〇〇円と領収書に書いてあった。二輪車でも、この金額だ。橋は橋脚が高いだけではない。
市街地に入る。中心部をぐるっと回って、いくつか目に付いたビジネスホテルに予約電話を入れた。一つは満杯で断られたが、次に電話したところは取れた。午後四時半。休み休み来たとはいえ、よくここまで来られたものだ。
駐車場に停めてフロントへ行ったら、手にしていたヘルメットでバイク乗りと分かったのだろう。「バイクなら、こちらに停めてください」と案内されて、駐車場横の可動フェンスの中を指示された。荷物を下ろしながら、「フュージョン、よく頑張ったな」と声を掛けた。初日の走行距離は五一六キロ。本当に老骨にムチを打って順調に連れてきてくれた。相手は機械だが、自然と感謝の気持ちになる。
旅装を解いて部屋の風呂に入ったあと、フロントでもらった近辺の略図を見ながら、近くの食堂へ夕食を食べに行った。ホテルの近くにはJR鳴門線の鳴門駅がある。単線の始発駅というのか、終着駅というのか。町の中で、線路が切れているのが不思議な光景に見えた。
月曜とあって定休日の店が多く、ようやく古びた食堂できしめん定食というものを頼んだが、ご飯ときしめんではあまり合わなかった。それでも、久しぶりの旅路と自由な世界に、ひとり悦にいっていた。(つづく)