旅立ち
出発日は、仕事の都合と、わが家の子供たちが夏休みに入ってからというわけで、七月二五日(2005年)とした。前夜までにすべて準備は整った。いや、準備するほどのこともない。服をバッグに詰めただけである。
朝六時四〇分。ホタルイカで知られる富山県滑川市の自宅裏の車庫に入れてあるフュージョンに荷物を積み、朝ご飯も食べずにエンジンを掛けた。カミさんは起きていたが、別れの挨拶をすることもなかろう。親しき仲にも礼儀ありだが、だいたい別れが嫌いだ……と、勝手に理屈をつけて黙って出掛けた。
それより、フュージョンで遠出をしたことがないから、どこまで行けるか分からない。連続で運転したのは、飛騨高山まで往復二〇〇キロぐらい。なおのこと、早立ちに限るのだ。
月曜日だったが、まだ通勤の車は少ない。すいた道を一〇分あまりかけて北陸自動車道立山インターチェンジまで行く。このインターは、立山黒部アルペンルートへ向かう全国の観光バスが利用するところだ。もちろん、この時間はバスもいない。
フュージョンでは高速に入ったこともない。自動発券機からピュッと出た高速券を手早くウエストバッグに入れ、早速、アクセルをふかして本線流入だ。二五〇ccのスクーターとしては加速が遅いほうとはいえ、一気に八〇キロを超す。並みの車などは問題にならない速さだ。
ところが、九六キロまではスムースな加速だったが、デジタル表示のスピードメーターが九七キロを指した途端、不快な音と振動が伝わってきた。共振を起こしているのだ。これにはまいった。そこで、九〇―九六キロの間で走らせることを決めて、まずは走りに対する体の感覚やエンジンを慣らすことにした。
しばらく行くと、時速九〇キロぐらいの大型トラックが前方にいる。「よっしゃ、これについていくのに限る……」とばかり、ぴったり追尾することにした。楽チンだし、追い越しの車に対しても、フュージョン単体でいるより、はるかに安全だろうという算段だ。(つづく)
出発日は、仕事の都合と、わが家の子供たちが夏休みに入ってからというわけで、七月二五日(2005年)とした。前夜までにすべて準備は整った。いや、準備するほどのこともない。服をバッグに詰めただけである。
朝六時四〇分。ホタルイカで知られる富山県滑川市の自宅裏の車庫に入れてあるフュージョンに荷物を積み、朝ご飯も食べずにエンジンを掛けた。カミさんは起きていたが、別れの挨拶をすることもなかろう。親しき仲にも礼儀ありだが、だいたい別れが嫌いだ……と、勝手に理屈をつけて黙って出掛けた。
それより、フュージョンで遠出をしたことがないから、どこまで行けるか分からない。連続で運転したのは、飛騨高山まで往復二〇〇キロぐらい。なおのこと、早立ちに限るのだ。
月曜日だったが、まだ通勤の車は少ない。すいた道を一〇分あまりかけて北陸自動車道立山インターチェンジまで行く。このインターは、立山黒部アルペンルートへ向かう全国の観光バスが利用するところだ。もちろん、この時間はバスもいない。
フュージョンでは高速に入ったこともない。自動発券機からピュッと出た高速券を手早くウエストバッグに入れ、早速、アクセルをふかして本線流入だ。二五〇ccのスクーターとしては加速が遅いほうとはいえ、一気に八〇キロを超す。並みの車などは問題にならない速さだ。
ところが、九六キロまではスムースな加速だったが、デジタル表示のスピードメーターが九七キロを指した途端、不快な音と振動が伝わってきた。共振を起こしているのだ。これにはまいった。そこで、九〇―九六キロの間で走らせることを決めて、まずは走りに対する体の感覚やエンジンを慣らすことにした。
しばらく行くと、時速九〇キロぐらいの大型トラックが前方にいる。「よっしゃ、これについていくのに限る……」とばかり、ぴったり追尾することにした。楽チンだし、追い越しの車に対しても、フュージョン単体でいるより、はるかに安全だろうという算段だ。(つづく)