残念ながら、予想通りである。いわゆる偽メール問題で、衆院懲罰委員会の質疑があったが、結局、真に知りたいことは分からなかった。

 永田寿康氏は、「未熟だった」「悪かった」「反省している」と繰り返した。とはいえ、次に来る言葉は「しかし……」である。永田氏や民主党にとって、さらによくない方向へスパイラル状態になっているような気がするのは私だけだろうか。
 背景に永田氏の資質の問題があるのは間違いない。メール問題以前の言動を見ても、相手(人)が見えていないのでは、と言わざるを得ない。

 彼は東京大学を卒業して大蔵省に入ったエリートだ。人生において、周囲はその優秀さを褒め称える人で満たされていたことだろう。国会議員にもなって順風満帆の人生だけに、エリートによくある一種独特の尊大さも持ち合わせている。そうした中だと人生経験が未熟であるのは言うまでもない。タレこみ情報をあまりにも安易に信用する危うさも当然ではないか。

 しかし、もっと言えば、それを防げなかった民主党という組織にがっかりするのである。
タレこみと言えば、マスコミにはよくある。たいていは組織の不正についてのものである。最初に情報を受けるのは一線の記者より、デスクに掛かってくる一本の電話、一通の手紙から始まる。情報提供者は誰に訴えればいいか分からないからだ。

 受けた側は、ほかのメディアにもタレこんでいる可能性があるため、直ちにデスクが一線の記者を動かす。匿名のタレこみの場合、関係者を当たって事実が明らかになることもあるが、多くは口裏合わせをされて追及が難しい。

 情報提供者がはっきりしている場合は、その相手に詳細な取材をする。証言だけでなく、金の出入りなどを証明するブツを持っているのかどうかなどを確認する。この過程で、若い記者は情報を信じやすいが、デスクは念入りにコトの真偽を確かめようと次々と指令を出す。

 それは、タレこみには動機があるからだ。純粋に正義感からくるものもあれば、自分のうっぷんを晴らしたいという私憤に満ち溢れている場合もある。単に脅してほしいからというのもある。いずれにしろ、公になることでメリットがあるからタレこむのである。
取材をするうちに、ビビッてしまう情報提供者もいる。そうした腹をくくれない情報提供者の場合、その問題から手を引くことさえある。

 見切り発車で、万一、誤った報道がなされれば、おわびをして済む問題ではないからだ。
それほど真実に至る道は険しいのである。
 今回のケースで民主党の中には、事実関係を十分調査したかどうかを問われ、「われわれは(事情聴取の)プロでないから」と発言する議員もいた。しかし、誰であろうと、人を疑うときは核心をつかんでから公にするのが常識である。

 この点で、メール問題は、永田氏だけの責任ではない。民主党の事前の措置も、事後処理もまずかったのである。
 なにはともあれ、「言葉は重い」のだ。