篠崎八幡神社は北九州市小倉北区篠崎の地に鎮座する

「安産祈願」や「交通安全」で有名な神社です。

小倉北区でも有名な神社ですが、気が付いたらいつの間にか

「龍押し」の神社になっていた感じのする神社です。

 

篠崎八幡神社の鎮座する丘(宮尾山)。

右手の方に紫川インターチェンジがあり、北九州都市高速を

利用すると「篠崎八幡宮」の名前のある看板が見えます。

さっそく丘の上に龍雲が出てます。

 

正面からはこの石段を登っていきます。

丘の上までは車でも上っていけますので、この石段が大変な

方は車のご使用をお考えください。

 

石段を登ったところにあるご由緒碑。この碑によれば

御祭神は「仲哀天皇・応神天皇・神功皇后」の三柱ですが、

パンフレットによると「宗像三女神」と「玉依比賣命」も

祀られています。

私はこれを「八幡大神全部入り」と呼んでいます。

 

実は八幡神社は応神天皇と神功皇后ともう一柱の神様を

祀っていることが多いのですが、その一柱の神様が神社に

よって違います。

 

たとえば八幡宮の本家である宇佐神宮では、第一殿に応神天皇、

第二殿に比賣大神、第三殿に神功皇后が祀られています。

比賣大神は謎の女神ですが、一応宗像三女神と同体とされている

ので宗像三女神を祀る八幡神社は結構あります。

 

一方、福岡市東区箱崎に鎮座する筥崎宮では、応神天皇と

神功皇后、そして玉依姫命が祀られています。

玉依姫命といえば神武天皇の母親として知られていますが、

筥崎宮の玉依姫命は「八幡神の叔母」だとする説もあるようで

「応神天皇に関係する女神」ということなのかもしれません。

 

宇佐神宮と筥崎宮との関係性が強くない八幡神社は第三番目の

神様として仲哀天皇を祀っている所が多いような気がします。

 

篠崎八幡神社は、豊前国(豊前一宮の宇佐神宮)にありますが、

筑前国(筑前一宮は筥崎宮)との境にあり、仲哀天皇を祀る長門

二宮の忌宮神社もそれほど遠くない位置にあります。

そんな場所に位置する篠崎八幡神社が「八幡神全部入り」なのは

相応しいように思います。

なお、応神天皇とその母親である神功皇后を祀っていることから

「安産祈願」、宗像三女神を祀っていることから「交通安全」の

神社として有名になったようです。

 

篠崎八幡神社の楼門。楼門には「身を整えよ」という意味の

「玄監」という神額が掲げられています。

 

篠崎八幡神社のご本殿。拝殿の向かって右手に「蛇の枕石」、

左手に「力石」という霊石が置かれています。

 

拝殿の向かって左手にある八雲社と蛇の枕石。

この社と岩に関する伝説が、篠崎八幡神社が「龍押し」に

なったきっかけを作りました。

 

八雲社の説明版。

これによるとこの丘の下に渕があって大蛇がおり、暴れて

いて村人を苦しめていた。篠崎神社(その当時はここから西に

ある高尾山に祀られていました)の宮司葛城小藤丸が御神託に

より、出雲で八岐大蛇を退治した須佐之男命を祀ったところ

大蛇はおとなしくなったそうです。

 

この神社で最も有名な霊石「蛇の枕石」。

昔は紫川に流れ込む小川の中にあったようですが、河川工事や

道路工事などで、ここに移されたようです。

 

須佐之男命の神威ですっかり大人しくなった大蛇でしたが、

紫川の貴船渕に住む女の大蛇と仲良くなり、毎日女の大蛇の

もとに通っていました。しかし、女の大蛇は貴船神の命令で

遠くに出かけることになりました。

女の大蛇がいなくなったことに気づいた大蛇は、この石の

上で毎日泣き暮らしました。その姿を憐れんだ八雲の神は

大蛇を龍神にして天に上らせました。

この伝説により、蛇の枕石は「子供の夜泣き」「恋愛成就」

のご利益があるとして信仰されるようになりました。

そして大蛇が龍になって天に上ったことから篠崎八幡神社は

「龍押し」の神社になっていきます。

 

拝殿の向かって左にある「力石」。拝殿の左右に霊石が

置かれている様子は、すごく収まりがいいです。

 

力石の由来の説明板。

以前はここから西にあった高(鷹)尾山にあり、神社が遷座

してきたので力石も移されたのでしょう。

おそらく元は八幡神が降臨した磐座なのではないかと

想像します。

 

力石を別の角度から。

現在は「子供の安全」「立身出世」のご利益がある岩として

信仰されています。

 

力石の水たまりのアップ。ちょっと龍っぽい?

 

篠崎八幡神社が「龍押し」の神社になった最大の理由が、

この雲竜殿賀茂宮です。

 

賀茂宮のご由緒説明板。

小倉城主となった小笠原家の四代目・忠総公が賀茂別雷命を

ご祭神の一柱として祀り、安志藩(小笠原忠真の兄の子供の

家系)から養子に入った五代目藩主が応神天皇と市杵島姫命を

合わせて祀ったのが始まりとされます。

その後、幕末に別殿として祀られ賀茂宮となりました。

なぜ小笠原家が京都山城の神である賀茂別雷命を祀らせたのか

よくわかりません。

ただ、賀茂別雷命と応神天皇と宗像三女神の市杵島姫命が

併せて祀られているのはパワーありそうです。

 

賀茂別雷命は雷神なので「雷神」=「龍神」ということで、

賀茂宮は龍神を祀っているお宮ということになったようです。

そして平成23年に賀茂宮の拝殿を改修し、「雲龍殿賀茂宮」

として龍押しの社となりました。

 

雲龍殿を別角度から。

扉などについている金色の家紋は小笠原家の「三階菱」です。

 

屋根の下にある彫刻は、雲と紫川の流れをイメージしたとか。

 

雲龍殿の折り上げ格天井を外から撮影しました。

木目が何となく龍っぽいです。

 

数多くの神様を祀る末社の宮地嶽神社。

 

鳥居がやや斜めに建てられている珍しい末社です。

(おそらく立木の関係かと)

 

最後に雲龍殿賀茂宮の「運気龍昇御守」を紹介。

確かに運気が龍昇しそうな素敵な御守です。

 

篠崎八幡神社は龍蛇の気配の濃い神社でした。

龍好きの方はぜひともご参拝ください。

 

【篠崎八幡神社 ―北九州市の八幡様―】