日本ハムファイターズ 大谷翔平選手のお話です。
高校時代に印象に残っているのは、2年夏と3年春に出場した甲子園での試合ですね。
いずれもけががあって本調子ではなく、悔しさばかりが残っていますが、今では良い思い出です。
2年の夏の甲子園は、ワクワクした気持ちで臨んだことを覚えています。
初戦から強豪・帝京が相手で7-8と借敗。
勝てなかったけど、粘り強い野球を見せることができました。
僕が入学してから、部員は誰も辞めませんでした。
1年生の終わりには、東日本大震災がありました。
家が流された部員もいたけど、みんな最後まで甲子園を諦めたくなかったと思います。
部員は100人以上いましたが、県内からの選手がほとんどで団結力はすごかった。
3年夏は岩手大会の決勝で敗れ、勝つということでは目標を達成できなかったけど、準決勝で160㎞を出せたことは、やってきたことの成果が出た部分だと思います。
入学当時から「160㎞を投げよう」と佐々木洋監督にも言われてましたし、自分も無理だとは思いませんでした。
プロになって挑戦している投手、野手の二刀流は、調整が難しいですね。
5月に打者として、甲子園で藤波晋太郎投手と対戦しました。
二塁打2本は打てましたが、昨年春の選抜のときと比べて成長を感じました。
お互いに注目される中でやれるのはうれしいです。
球児、特に3年生には、3年間がんばってきて迎える最後の大会です。
諦めないでやってほしい。
緊張もあるかもしれないけど、高校野球は何があるのか分からない。
最後の1回、最後の1球までがんばってほしいです。
「日本ハムファイターズ 大谷翔平」
あなたにすべての善きことが雪崩のごとくおきます