「冬に逆戻り」
今朝は、みやざき中央新聞・編集長の水谷さんの社説をご紹介します。
学生のとき、『大きな木』という絵本にとても感動し、ずっと手放せないでいた。
物語はとてもシンプルだった。
大きなリンゴの木がある。
そこに小さな坊やがやってきて、いつも遊んでいた。
木登りをしたり、枝にぶら下がったり…。
坊やはその木が大好きで、木も坊やが大好きだった。
やがて坊やは大きくなり、木と遊ぶことはなくなった。
ある日、突然彼はやってきた。
木はとても喜んだ。
青年になったかつての坊やは木に言った。
「お金が要るんだ」
「それならこのりんごを売りなさい」
と木は言った。
青年はりんごを全部もぎとって行ってしまった。
木はうれしかった。
坊やはしばらくすると、また久しぶりにやってきた。
かつての坊やはいい大人になっていた。
「結婚したい。子どもが欲しい。だから家がいる」
木は言った。
「この枝を切って、それで家を建てなさい」
男は枝をすべて切って持っていった。
木はうれしかった。
さらに月日が流れ、かつての坊やは中年になっていた。
人生にいいことがなかったようで、
「遠くへ行きたいから船がほしい」
と言い出した。
「幹を切って船を造ればいい」
男は幹を切り倒し、船を造って行ってしまった。
「それでも木はうれしかった。」
その言葉の後に、
「だけどそれはほんとかな?」
と書かれていた。
重く心に残る一言だった。
かつての坊やは老人になって木に会いに来た。
しかし、もう木はあげるものがなかった。
老人は言った。
「もう欲しいものはない。ただ座って休む場所があればいい」
「それじゃ、ここにお座りなさい」
木は思いっきり背伸びをして切り株になった自分を差し出した。
その絵本のあとがきに、訳者の本田錦一郎(きんいちろう)さんが「無償の愛」について書いていた。
与えて、与えて、与えて、さらに与えていく。
それは「犠牲」ではなく、「無償の愛」なのだ、と。
この本のことを思い出したきっかけは、知り合いの夫婦から息子さんの話を聞いたことだった。
ご夫婦はとても仲が良く、特にご婦人はとても優しい女性で、
夫が自損事故を起こしても、「疲れていたのね」と労い、
夫が無駄遣いをしても、「仕事のストレス発散になるからいいね」とほほえむ。
一人息子に対してもそんな感じで、いつも笑顔で、愛情たっぷり注いできた。
その息子も20代後半になり、仕事から帰ると部屋にこもり、ゲームばかり。
父親とはほとんど口をきかず、部屋から出てこない時は母親が食事を運んだりもする。
「息子が立ち上がっていない。なぜ? あんなに仲の良い夫婦なのに。あんなに愛情あふれる家庭で育ったのに。」
とても不思議だった。
1976年に出版されたこの絵本は日本でもベストセラーになり、
2010年、作家の村上春樹さんの新しい和訳で再版された。
「木はうれしかった。だけどそれはほんとかな?」
という部分を、村上さんが訳すと、
「それで木はしあわせに…なんてなれませんよね」
そう言い切っていた。
無償の愛は確かに尊い。
しかし、誰かの成長を願うとき、
「与え続ける行為」は「もらい続ける人を育てない」
そうこの絵本は訴えているのではないだろうか。
「誰かの成長を願うとき
与え続ける行為は
もらい続ける人を育てない」
by 水谷謹人(もりひと)
みやざき中央新聞編集長
今日も最後までお読みいただきありがとうございます。
あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます