言うことは立派なのだが | 北風家のおやじのブログ

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今朝は心理学者、榎本博明さんの著書よりご紹介します。


「すみません」という言葉には、単なる謝罪という以上の深い意味が込められている。

そのひとつが、相手に対する「思いやり」だ。

自分が一方的に悪い訳じゃないと思っても、とりあえず「すみません」という言葉を添えることで、「場」の雰囲気を良好に保つことができる。

その場合、ホンネで悪いと思っているかどうかが重要なのではない。

タテマエであれ、「すみません」と言うことに重要な意味があるのだ。

「すみません」と口にする人物に対して、それ以上責め立てるのは無粋だといった感覚が日本の中では広く共有されている。

「すみません」と言われることで、抗議や怒りの気持ちも和らぐ。

このような二重構造を認めない欧米社会では、みんながホンネと信じるものをストレートにぶつけるために、非常にギスギスして争いごとが絶えないといった感がある。

欧米人の正論の主張と、それに基づく断固たる行動。

言うことは立派なのだが、どうにも利己的な匂いが漂う。

欧米人こそが、じつはタテマエ主義なのではないのかと思えてならない。

この種のタテマエ主義は、自身の中に潜むホンネの存在を認めず、相手の気持ちや体面を思いやることもないため、非常に攻撃的になりやすい。

本来、日本流のタテマエには、他人の気持や立場を配慮することで、利己的なホンネをコントロールする役割があるのではないだろうか。

日本人の国際感覚の欠如を指摘する議論が目立つが、逆に日本流を国際的にアピールし、理解を求めていくことも必要だろう。

自分たちの文化の仕組みについて発信を行なっていくことも大切である。

意見をはっきり言わないのが相手の視点を「察し」てしまうからだとすれば、その共感性は寛容につながる。

日本的なホンネとタテマエの二重構造が争いごとにブレーキを掛けているのだとすれば、それは国際的な対立の融和に役立てられるかもしれない。

『「すみません」の国』日経プレミアシリーズより。