今朝は神谷先生のメルマガ『koara先生の学級通信』( 00585519s@merumo.ne.jp )よりご紹介します。
朝日新聞で連載されていた「いじめられている君へ」の最終回を任されたのが
小6のはるかぜちゃんでした。
その文章はとても小6とは思えない、鋭いものでした。
《いじめている君へ》春名風花さん
■君、想像したことある?
ぼくは小学6年生です。
タレントだけど、ふつうの女の子です。
今から書く言葉は君には届かないかもしれない。
だって、いじめてる子は、自分がいじめっ子だなんて思っていないから。
いじめがばれた時、いじめっ子が口をそろえて
「じぶんはいじめてない」って言うのは、
大人が言う保身(ほしん)のためだけじゃなく、
その子の正直な気持ちじゃないかなと思います。
ただ遊んでいるだけなんだよね。
自分より弱いおもちゃで。
相手を人間だと思ってたら、いじめなんてできないよね。
感情のおもむくままに、醜悪(しゅうあく)なゲームで遊んでいるんだもんね。
ぼくもツイッターでよく
死ねとか消えろとかブスとかウザいとか
言われます。
顔が見えないから体は傷つかないけど、
匿名(とくめい)なぶん、言葉のナイフは鋭(するど)いです。
ぼくだけでなく、時には家族を傷つけられることもある。
涙が出ないくらい苦しくて、死にたくなる日もあります。
けれどぼくは、ぼくがいくら泣こうが、本当に自殺しようが、
その人たちが何も感じないことを知っている。
いじめられた子が苦しんで、泣いて、死んでも、
いじめた子は変わらず明日も笑ってご飯を食べる。
いじめは、いじめた人には「どうでもいいこと」なんです。
いじめを止めるのは、残念ながら、いじめられた子の死ではありません。
その子が死んでも、また他の子でいじめは続く。
いじめは、いじめる子に想像力(そうぞうりょく)を持ってもらうことでしか止まら
ない。
いじめゲームをしている君へ。
あのね。
キモい、死ね、と
連日ネットで言われるぼくが生まれた日、
パパとママはうれしくて、
命にかえても守りたいと思って、
ぼくがかわいくて、
すごく泣いたらしいですよ。
「この子に出会うために生きてきたんだ」
って思えるくらい幸せだったんだって。
それは、ぼくが生意気(なまいき)になった今でも変わらないそうですよ。
想像してください。
君があざ笑った子がはじめて立った日、
はじめて歩いた日、
はじめて笑った日、
うれしくて泣いたり笑ったりした人たちの姿を。
君がキモいウザいと思った人を、
世界中の誰(だれ)よりも、
じぶんの命にかえても、
愛している人たちのことを。
そして、その人たちと同じように
笑ったり、泣いたりして君を育ててきた、
君のお父さんやお母さんが、
今の君を見てどう思うのか。
それは、
君のちっぽけな優越感(ゆうえつかん)と引き換(か)えに
失ってもいいものなのか。
いま一度、考えてみてください。
(はるな・ふうか=タレント)
一人ひとりが、かけがえのない宝物ですネ♪
大丈夫だよぉ~
∧_∧きゃ∧_∧
(*・∀・) (゜∀゜ )
と つ⊂ つ
. (⌒_ノ 〉ノヽ
し'ゝ (_/ ゞ