今日は緩和医療医、大津秀一先生の死についてのお話です。
「いま」という時が明日もあさってもずっと続いていくと思うと、いつまで経ってもバトンタッチをするという感覚がない。
譲れないで引き際を逃がす。
去年崩壊した独裁政権のようです。
やるべきことをやって、後に託す、それができないままにどんどん日が経ってしまい、気がついたらもう終わりが来てしまうことになる。
だから、終わりを見据えることで、終わりを見つめ尽くすことで、どうやって生きるかが大事になってくることを知る。
自らの思いをどう後進に刻んでいくのかを知る。
最近増えているのは「トラウマになってしまうから親の死に目に子供を呼ぶな」という考え方です。
身内の死というのは、子供が最後に学ぶ大きな教えであるにもかかわらず、その機会を奪われてしまっているんです。
本当はそこを直視することでいろんなものが見えてくるのに、それを隠していまおうとするところに問題があると思うんです。
子供には、できるだけ苦労をさせたくない、厳しい環境には置きたくない、と思うのは誰もが願う親の切なる気持です。
しかし、まるで無菌室のような状況で育て、成長したとしたら、子供はどうなるでしょうか。
仏教には、「四苦八苦(しくはっく)」といって、生、老、病、死の四つの根源的な苦しみがあるという。
それに、さらに四つの苦しみを入れて、八苦というが、その中に「愛別離苦(あいべつりく)」があります。
「愛別離苦愛」とは、親子・兄弟・夫婦といった、愛するものと別れなければならない苦しみのことです。
どんな人でも、この八つの苦しみから逃れることはできません。
年老いた両親と同居している家庭はたいへんです。
だが逆に、身近に年配者がいるからこそ、多くの学びがあるとも言えます。
死を身近に感じることは、トラウマでもなんでもありません。
子供が最後に学ぶ大きな教えです。
現実を直視しない限り、真実は見えないわけです。
「命はバトンタッチ」
死と向き合うからこそ、生かされていることの「有り難さ」を感じることができます。
(作家の青木新門氏と大津秀一氏の対談より)
繋ごうよ!
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