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今日は若き登山家、栗城史多(くりき のぶかず)さんをご紹介します。
ヒマラヤの8000メートル峰でも、苦しければ苦しいほど出る言葉がある。
それは「ありがとう」だった。
一歩が出ないほどつらいとき、「ありがとう」と口にすることによって一歩が出る。
逆に、山にたいして「ちくしょう」とか「負けないぞ」というような気持ちを持ってしまうと、力は出ない。
山に対峙してはいけないのである。
苦しみも不安もすべては自然の一部であり、僕らはその自然の中の一部である。
苦しみを受け入れ、そして感謝する。
「ありがとう」は、困難な時代を乗り越える力のある言葉かもしれない。
企業のトップの人たちは、登山家と同じように命をかけている。
自分だけではなく社員の命も背負っている人たちだ。
中には、一度は会社が倒産しても、そこから這(は)い上がってきて成功しているという人たちもたくさんいるのだ。
経営者だけでなく、誰もにいえることだが、生きていること自体が冒険なのだ。
僕にはその人たちから学ぶことがたくさんあった。
僕が幸せなのは、ヒマラヤで自然の偉大さを学び、下界では人間学を学んで、そこで自分は今何をすべきなのかということを、自然と身につけることができたことだ。
学びこそ最大の財産であると思う。
ヒマラヤは、ないものだらけの世界だ。
もちろん、もともと人間が住むことのできない世界であるから、水もなく、食事もなく、親しく話ができる人もいない。
ヒマラヤで、そんな生活を一ヶ月以上もしていていつも思うことは、当たり前に思える毎日の生活が、当たり前でないということ。
山に登るということは、帰るべきところのありがたさを再認識することだ。
人は、孤高の山で一人で生きていくことはできない。
人間は生かされて生きていることを感じるのだ。
だからこそ、僕は自分を幸せ者だと言えるのだ。
『一歩を越える勇気』サンマーク出版
栗城さんは1982年生まれ。
身長は162センチで、体重60キロと小柄です。
しかも、肺活量、筋量は成人男子の平均以下という肉体にもかかわらず、3年間で6大陸の最高峰に単独、無酸素登頂してきました。
高校卒業後に東京で夢も希望も持っていないフリーター・ニート生活をしていたといいます。
それで、「ニートのアルピニスト」と呼ばれたこともありました。
登山をするときは、「執着を捨てる」という気持ちが大事だといいます。
もちろん、山頂を目指すという夢を捨てるわけではありません。
自分の力で登っているという「我」の部分が問題で、むしろ、「山の神様にお任せします」、という気持ちが必要なのだそうです。
登山は死と隣り合わせです。
普通、人が生きていられない酸素濃度の標高を、無酸素で登ることはさらに危険が増します。
高校の頃、ガンで母を亡くした栗城さんが誓ったことがあります。
それは、彼の母の最期がそうであったように、「けっして弱音を吐かないこと」そして、最後に「ありがとう」と言ってこの世を去れる人間になること、です。
そのためには、「中途半端に生きてはいけない」、と。
人生はよく登山に例えられます。
山あり谷ありの人生ですが、どんなに苦しくとも、「一歩を越える勇気」を持ち続けたいですネ。
ありがと…ありがと…
∧,,∧
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し⌒J
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