函館にも講演に来て、めちゃめちゃいい話でした。
ぜひ、また情報が入った時はお知らせします。
今日は月刊致知9月号に植松電機専務、植松努さんのインタビューが掲載されていましたのでご紹介します。
植松さんは、ノウハウゼロからロケットの開発に挑戦し、今から4年前に全長5メートルのロケットの打上げに成功。
昨年一年間で、植松さんの開催したロケット教室には、1万人の子どもたちが参加し、「今まで諦めて無理だと思っていたことが無理じゃなかった」と感想を寄せる子どもも多いそうです。
そんな植松さんがロケット開発にチャレンジしている原点が、『「どうせ無理」この言葉をなくしたい』
もともと飛行機やロケットが好きでした。
小学生の頃から本屋に入り浸り、いろんな本を読んでいました。
僕には、かつて樺太で車の修理をしていたおばあちゃんがいたんです。
敗戦後、ソビエト軍が侵攻してすべてを失ってしまいました。
「お金はくだらないよ。
一晩で価値が変わっちゃうからね。お金があったら、本を買いなさい。
頭に入れてしまえば、誰にもとられないし、その知識が新しいことを生み出すよ」
いつも、おばあちゃんは、こう話してくれました。
中学の頃、進路相談で、
「将来、飛行機、ロケットの仕事がしたい」
胸を張って答えたら、先生からさんざん言われ続けました。
「おまえの成績で、しかもこんな北海道の田舎ではとても無理だ」と。
だったら自分で勉強しようと、航空力学などの専門書も読むようになりました。
学校の試験には関係ありませんから、成績は下がる一方でしたね。大学を卒業して28歳の時に北海道に戻りました。
このまま飛行機開発には戻らないのかと思っていたのですが、そんな時にボランティアに行く機会がありました。
そこで児童虐待を受けていた子供たちに会って、
その子たちが親に殺されるような目に遭っていながら、なお親と暮らす日を夢見ていると知ったとき、「どうして親は裏切ったのだろう。いくら寄付をしてもこの子達を救うことはできない」と
自分の無力さを思い知ったんです。
その時に思い出したのが、僕の人生でした。
「強制したり暴力を振るったりして他人の可能性を奪おうとした人がたくさんいたな」と。
そして、その背景にあるが、「どうせ無理だ」という言葉だと気づいたんです。
この言葉が連鎖して、可能性を奪われた人が今度は他人の可能性をも奪ってしまう。
そしてその方向は、自分よりも優しく弱い人に向かう。
だったら、この世から「どうせ無理」という言葉を無くさなきゃいかんと思いましたね。
これが僕の宇宙開発の原点なんです。その意味で宇宙開発は、僕の夢ではなく、手段なんです。
ロケット教室で子どもたちに話すのが、「やったことのないことは、やれないと思い込んでいるだけ。ものづくりの基本は、諦めずに続けること。
諦めたり辞めたりせずに考えるんだ。考えるのを決してやめちゃいけないよ」ということなんです。
(月刊致知9月号より)
「どうせ無理」をなくしていきましょう。
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