今日は作家・なだいなださんをご紹介します。
よく私たちは、自分の意思で自分の人生を歩んでいるように錯覚するんですね。
自分はこの道を歩むんだとか、あるいはこの道を歩み始めたかぎりにおいては、こういうふうに進み、こういうふうに行くんだとか。
自分の意思で進んで行けるように思いますけど、大体逆風だって吹いてくるでしょう?
自分の思うように進んでいかないものですよ。
で、私はよく言うんだけれど、意思のままに生きられる人というのは、いたとしてもごく少数の恵まれた人であって、ほかの人たちは大体逆風にさえぎられながら、何とか間切って進んでいる。
逆風のヨットのようなものです。
少しずつでも前に進めればいいと。
そのときに、一番重要なのは意思じゃなくて、意地なんです、意地。
人間っていうのは、意地は張れるんだけど、強い意志を持てなんて言ったってね、そんな抽象的なものを持てるはずがない。
意思の力というと非常に高尚に見えるけど、意地っていうと何か非常に地べたを這いつくばってるような感じでしょう?
しかし、大部分の人間は、意地のおかげで自分というものを保っていられるんです。
例えば、私なんか医者をやっているときに、結構名前が出てくれば、うんと診療費を高くとって、金持ちの患者を選らんで、大もうけしたらいいじゃないのなんて言われました。
それはあんた、お金など欲しくないと思っているわけじゃありませんよ。
お金をがっぽりもうけて、楽な生活ができたらこんないいことはない。
しかし、やっぱり意地があってそれができないんですね。
金で医者をやってるわけじゃねえやって…。
『仕事の流儀』高任和夫(たかとうかずお)著・日経BP社
なだいなだ氏は精神科医でありながら、ベストセラー作家でもあります。
ペンネームの「なだいなだ」はスペイン語で、「何もなくて、何もない」という意味だそうです。
私たちはよく、「自分は意思が弱い」と言って嘆きます。
しかし、「意思をしっかりと持つ」ではなく、「意地をはる」、というなら何となくしっくりくるような気もします。
「意思の力でダイエットする」、のではなく「意地でも食べない」。
電車に乗ったとき、どんなに疲れていても、「意地でも座らない」。
行動は難しい理屈ではない。
悪いことはダメだからダメだし、どんなに困っても人に迷惑がかかることは、意地でもやらないだけの話です。
意地とは本来、気骨や、気概のことであり、反骨という、不当な力に屈しない気力のことでもあります。
昨今は、気骨という、骨のある人が少なくなったように感じます。
つまり、中心となる芯が弱くなり、肚が座っていないわけです。
意地を通すとは、損得抜きに、一旦自分が決めたことはやり通すこと。
それには、自分なりの矜持と、やせ我慢が必要です。
「一寸の虫にも五分の魂」の心意気です。
自らを高めるため、気骨と気概を持って、善き意地を張り通してみたいですネ。
ハジです♪
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し∥J
⊂§⊃ピョン
§ ピョン
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