東北地方太平洋沖地震後の喜多方市の状況
大地震が起きてから、まる3日、72時間が経過しました。
まだまだ、情報が錯綜し、被害の実態が掴めない状況ではありますが、地震から現在までの喜多方市内の情報をお伝えしたいと思います。
【地震発生時】
地震発生時、私はFMきたかた局内の2Fで事務作業をしており、大きな揺れを感じた直後、生放送のスタジオに入り緊急放送の準備をしました。コミュニティ放送局の情報の入手先は、NHKなどのTV放送、地元警察署、地元消防署、行政機関となりますが、まずは震源地、地震の規模などを確認するためにNHKの放送を確認し、正確な情報の入手にあたるとともに、震度4以上の揺れを感じた際の緊急放送を行いました。
緊急放送を行っている最中も大きな揺れが度々襲い、ものに掴まっていないと立っていられない状況でした。後に喜多方の震度は、震度5弱と発表されましたが、私の記憶の中では過去最大の地震という感触でした。
ラジオでは地震発生時に市議会の放送を行っていましたが、緊急放送に切り替え、市民の皆様に向けて喜多方市内で大きな揺れを感じている、落ち着いて行動してください。揺れが収まったら、ガスの元栓を締めて下さい等の大きな地震が起きた場合の緊急放送を繰り返し行いました。
【地震直後】
ラジオ局内で役割分担を行い、情報の収集作業を行いました。喜多方市の生活安全課へ電話をしましたが、同じく情報の収集中ということで、多くの情報の入手はNHKのTV放送に頼るしかありません。そんな中も、かなり大きな余震を何度も感じ、TVでは大津波警報が出され、東北の太平洋沿岸の広いエリアで10mを越す津波の予測情報が放送されていました。
【3月11日16時頃】
地震の規模がマグニチュード8.4、震源が宮城県沖と発表され、TVでは名取市の津波の様子が映し出されていました。それは映画でしか観た事のないような映像で、現実に起こっている出来事として受け入れることが出来ませんでした。
喜多方市内では、土蔵の壁が崩れ落ちた等の情報があり、隣の会津若松では道路陥没や亀裂などの情報が入って来ました。県内では、浜通りのいわき市、相馬市、南相馬市などの被害の映像がTVで放送されており、被害の大きさを実感しました。
【3月12日~13日】
被害の全容が明らかになるに従い、twitterを通して喜多方の情報を教えて欲しいという依頼が次々と寄せられ、喜多方市内では大きな被害がないこと、家庭の光電話、各社携帯電話が繋がらない、もしくは非常に繋がりにくい状況であること、また市内でガソリン、灯油、食料品などが不足してきている状況をラジオ、twitterで情報発信しました。
行政は、災害対策本部を立ち上げ市内の情報収集にあたっていたようです。
【3月14日】
市内のガソリンスタンドは、午前中でほぼすべて在庫切れとなったとの情報を入手、ガソリンが入手出来るメドも立たないというということで、ラジオ、twitterを通してガソリン、灯油の節約を市民の皆さんへお願いしています。
また、喜多方市長からの緊急声明の収録を行い、これからのFMきたかたの生放送で喜多方市からの正式な情報として放送する予定です。
以上、地震から今日までの喜多方市内の状況です。
まだまだ、情報が錯綜し、被害の実態が掴めない状況ではありますが、地震から現在までの喜多方市内の情報をお伝えしたいと思います。
【地震発生時】
地震発生時、私はFMきたかた局内の2Fで事務作業をしており、大きな揺れを感じた直後、生放送のスタジオに入り緊急放送の準備をしました。コミュニティ放送局の情報の入手先は、NHKなどのTV放送、地元警察署、地元消防署、行政機関となりますが、まずは震源地、地震の規模などを確認するためにNHKの放送を確認し、正確な情報の入手にあたるとともに、震度4以上の揺れを感じた際の緊急放送を行いました。
緊急放送を行っている最中も大きな揺れが度々襲い、ものに掴まっていないと立っていられない状況でした。後に喜多方の震度は、震度5弱と発表されましたが、私の記憶の中では過去最大の地震という感触でした。
ラジオでは地震発生時に市議会の放送を行っていましたが、緊急放送に切り替え、市民の皆様に向けて喜多方市内で大きな揺れを感じている、落ち着いて行動してください。揺れが収まったら、ガスの元栓を締めて下さい等の大きな地震が起きた場合の緊急放送を繰り返し行いました。
【地震直後】
ラジオ局内で役割分担を行い、情報の収集作業を行いました。喜多方市の生活安全課へ電話をしましたが、同じく情報の収集中ということで、多くの情報の入手はNHKのTV放送に頼るしかありません。そんな中も、かなり大きな余震を何度も感じ、TVでは大津波警報が出され、東北の太平洋沿岸の広いエリアで10mを越す津波の予測情報が放送されていました。
【3月11日16時頃】
地震の規模がマグニチュード8.4、震源が宮城県沖と発表され、TVでは名取市の津波の様子が映し出されていました。それは映画でしか観た事のないような映像で、現実に起こっている出来事として受け入れることが出来ませんでした。
喜多方市内では、土蔵の壁が崩れ落ちた等の情報があり、隣の会津若松では道路陥没や亀裂などの情報が入って来ました。県内では、浜通りのいわき市、相馬市、南相馬市などの被害の映像がTVで放送されており、被害の大きさを実感しました。
【3月12日~13日】
被害の全容が明らかになるに従い、twitterを通して喜多方の情報を教えて欲しいという依頼が次々と寄せられ、喜多方市内では大きな被害がないこと、家庭の光電話、各社携帯電話が繋がらない、もしくは非常に繋がりにくい状況であること、また市内でガソリン、灯油、食料品などが不足してきている状況をラジオ、twitterで情報発信しました。
行政は、災害対策本部を立ち上げ市内の情報収集にあたっていたようです。
【3月14日】
市内のガソリンスタンドは、午前中でほぼすべて在庫切れとなったとの情報を入手、ガソリンが入手出来るメドも立たないというということで、ラジオ、twitterを通してガソリン、灯油の節約を市民の皆さんへお願いしています。
また、喜多方市長からの緊急声明の収録を行い、これからのFMきたかたの生放送で喜多方市からの正式な情報として放送する予定です。
以上、地震から今日までの喜多方市内の状況です。
交差点を見守り続ける人
彼が亡くなったことを知った日、家に帰って今年72歳になる父親に、いつ頃から彼を知っていたか聞いてみた。すると、父が高校時代には、もうすでに喜多方のまちを歩きまわっていたそうだ。当時は、喜多方駅南側の踏切の前で、電車が通るのをずっと眺めていたらしく「電車番」という風に呼ばれていたということも知った。
平成23年1月29日。喜多方市内では、一番の有名人である(と思われる)「にんじん坊や」が亡くなった。思えば、活字で「にんじん坊や」と書いたのは今回が初めてである。「人参坊や」、「ニンジン坊や」、「にんじんぼうや」書き方はいろいろあるが、「にんじん坊や」がしっくりくる気がする。
訃報は、2月1日の朝、twitterのタイムラインに私宛のメッセージとして「にんじん坊や、土曜日に亡くなられてます」と届いた。私がそのメッセージに気がついた時には、すでに何名かのフォロワーさんが反応していて、喜多方市内でtwitterをしている人には拡散しつつあったようだ。
情報の真偽を確認する為、情報提供してくれた方とその他各方面をあたったところ、どうやらガセネタではないようで、twitterで「おはようございます。今朝も新たに雪が積もっていた喜多方です。朝から哀しいお知らせが届きました。喜多方市民であれば、知らない人がいない「にんじん坊や」が先週の土曜に亡くなられたそうです。正確な情報が入手でき次第、再度お知らせします。」とお知らせしたところ、かなりの数の返信を頂いた。
「にんじん坊や」は、喜多方市内のあちこちの交差点に立って、手を後ろに組み、通りを歩いている人や、通り過ぎる車をずっと眺めていた。私が子供だったころから、ずっとそうだった。身長は、小学校高学年の男子程度で、顔は浅黒く、極端に痩せていた。知的な障害があるようで、私は何度も接触したことはあるが、言葉を交わした記憶はない。
「にんじん坊や」の記憶を辿ると、小学生の頃まで遡る。実に30数年前だが、前段で書いた父との会話からわかるように、私が生まれるずっと前から喜多方市内を歩きまわっていたようだ。小学校の頃は、友人が「にんじん坊や」をからかって、逃げ、追いかけられるという光景をよく目にした。
からかったあげくに「にんじん坊や」がズボンをずるっと下して、●●●を丸出しにして女の子がキャーキャー言って逃げていく姿なんかもよく目撃した。大人になってからは、夏の暑い日にクーラーの効いたパチンコ屋、冬の寒い日に暖かいパチンコ屋で、灰皿からシケモクを探す姿や、顔見知りから煙草を貰っている姿なんかをよく目撃した。
私も何度か煙草を求められ、彼に煙草を分け与えたことがあったが、お礼をいうでもなく、笑顔を見せるでもなく、いつもと同じ表情で、煙草をもらうのはさも当然のような、いやそんなことも感じさせない様子で立ち去って行った。
でも、圧倒的な記憶は、交差点で後ろ手に立って、通りを眺める姿。朝でも夕方でも、まるでそこにいるのが当たり前のように、そう、風景の一部のように、ずっとずっと彼は喜多方のまちに居続けた。きっと、このブログを読んでくれている喜多方出身の方は、大きく首を縦に振ってくれていることだろう。
twitterに寄せられたメッセージには、彼に追いかけられた記憶など、苦い思い出を語る人も数人いたが、「昭和が終わった」「ひとつの時代が終わりました」「とっても哀しい」など、殆どは暖かいメッセージばかりだった。中には「喜多方市は交差点ににんじん坊やの銅像を建てるべき」なんていうメッセージもあった。同感である。
私は、喜多方に生まれ喜多方で育ったただの一市民だけれど、喜多方の多くの人に愛された「にんじん坊や」の訃報にあたり、本名も年齢も知らない彼を忘れないように、そして喜多方の地を離れ暮らしている人にこの知らせを知ってもらう為に、ここに書き記します。
喜多方に愛された「にんじん坊や」平成23年1月29日 永眠。心よりご冥福をお祈りいたします。
平成23年1月29日。喜多方市内では、一番の有名人である(と思われる)「にんじん坊や」が亡くなった。思えば、活字で「にんじん坊や」と書いたのは今回が初めてである。「人参坊や」、「ニンジン坊や」、「にんじんぼうや」書き方はいろいろあるが、「にんじん坊や」がしっくりくる気がする。
訃報は、2月1日の朝、twitterのタイムラインに私宛のメッセージとして「にんじん坊や、土曜日に亡くなられてます」と届いた。私がそのメッセージに気がついた時には、すでに何名かのフォロワーさんが反応していて、喜多方市内でtwitterをしている人には拡散しつつあったようだ。
情報の真偽を確認する為、情報提供してくれた方とその他各方面をあたったところ、どうやらガセネタではないようで、twitterで「おはようございます。今朝も新たに雪が積もっていた喜多方です。朝から哀しいお知らせが届きました。喜多方市民であれば、知らない人がいない「にんじん坊や」が先週の土曜に亡くなられたそうです。正確な情報が入手でき次第、再度お知らせします。」とお知らせしたところ、かなりの数の返信を頂いた。
「にんじん坊や」は、喜多方市内のあちこちの交差点に立って、手を後ろに組み、通りを歩いている人や、通り過ぎる車をずっと眺めていた。私が子供だったころから、ずっとそうだった。身長は、小学校高学年の男子程度で、顔は浅黒く、極端に痩せていた。知的な障害があるようで、私は何度も接触したことはあるが、言葉を交わした記憶はない。
「にんじん坊や」の記憶を辿ると、小学生の頃まで遡る。実に30数年前だが、前段で書いた父との会話からわかるように、私が生まれるずっと前から喜多方市内を歩きまわっていたようだ。小学校の頃は、友人が「にんじん坊や」をからかって、逃げ、追いかけられるという光景をよく目にした。
からかったあげくに「にんじん坊や」がズボンをずるっと下して、●●●を丸出しにして女の子がキャーキャー言って逃げていく姿なんかもよく目撃した。大人になってからは、夏の暑い日にクーラーの効いたパチンコ屋、冬の寒い日に暖かいパチンコ屋で、灰皿からシケモクを探す姿や、顔見知りから煙草を貰っている姿なんかをよく目撃した。
私も何度か煙草を求められ、彼に煙草を分け与えたことがあったが、お礼をいうでもなく、笑顔を見せるでもなく、いつもと同じ表情で、煙草をもらうのはさも当然のような、いやそんなことも感じさせない様子で立ち去って行った。
でも、圧倒的な記憶は、交差点で後ろ手に立って、通りを眺める姿。朝でも夕方でも、まるでそこにいるのが当たり前のように、そう、風景の一部のように、ずっとずっと彼は喜多方のまちに居続けた。きっと、このブログを読んでくれている喜多方出身の方は、大きく首を縦に振ってくれていることだろう。
twitterに寄せられたメッセージには、彼に追いかけられた記憶など、苦い思い出を語る人も数人いたが、「昭和が終わった」「ひとつの時代が終わりました」「とっても哀しい」など、殆どは暖かいメッセージばかりだった。中には「喜多方市は交差点ににんじん坊やの銅像を建てるべき」なんていうメッセージもあった。同感である。
私は、喜多方に生まれ喜多方で育ったただの一市民だけれど、喜多方の多くの人に愛された「にんじん坊や」の訃報にあたり、本名も年齢も知らない彼を忘れないように、そして喜多方の地を離れ暮らしている人にこの知らせを知ってもらう為に、ここに書き記します。
喜多方に愛された「にんじん坊や」平成23年1月29日 永眠。心よりご冥福をお祈りいたします。
そうだ、十日市に行こう!
暖かい日が続いたかと思ったら、昨晩から急に寒くなって今朝は大雪が降っていた喜多方です。
おいさんは、明日から新年会が3つも続きます。胃が持つかしら?なんて考えていたら、びっくりニュース。
毎年1月10日に開催されるお隣の会津若松市の十日市。今年の目玉は、会津B級グルメ対決冬の陣です。
以下、こちらのサイト から引用です。
【会津カレー焼きそば】(会津)※3軒のカレー焼きそばが競演します
焼きそばにカレーをトッピングするという全国でも珍しい会津のソウルフード。
カレーと焼きそばのコラボレーションが想定外の美味!
【只見味付マトンケバブ】(只見町)
只見焼肉といえば「牛でも豚でもなくマトン(羊)!」マトンを知り尽くした只見町プレゼンツ!
秘伝のタレで焼き上げたマトンをピタパンで包んだおしゃれなグルメ。
【ばんげ旨カレー】(会津坂下町)
名物の馬肉を使った超スタミナカレー。
坂下産酒米(清酒用お米)をパラリと炊き上げたライスに馬肉カレー、
トッピングに、これまた特産の立川ごぼうと胡桃を散らしました。
【美里ホルモン】(会津美里町)
田植え稲刈りには欠かせない美里のパワーメニュー。
豚ホルモンを甘辛味噌で焼き上げた、食べたらクセになるメニューです。
【塩川鳥モツ】(喜多方市塩川町)
塩川で鳥モツといえば、コラーゲンたっぷりの鳥皮を甘辛く煮込んだ絶品料理。
七味をふりかけ、ご飯のおともに酒の肴に。
食べればコラーゲン効果でお肌ツルツル?
【西会津味噌ラーメン】(西会津町)
「福島うまいもん№,1決定戦2010」グランプリ!
西会津名産ミネラル野菜をたっぷり使い、豚ひき肉とともにスープで煮込んだほんのり甘味の味噌ラーメン。温まります。
【喜多方ラーメン】(喜多方市)
日本三大ラーメンのひとつ、喜多方ラーメンがB級グルメに特別参戦!
数ある人気店の中から「あじ庵食堂」が出店します。乞うご期待!
何がビックリって、ごらんの通り、喜多方から塩川町の鳥モツと、我らの「あじ庵食堂」が出店しています。
喜多方のツイッター部で何かと話題の「あじ庵食堂」 →
私も、当日新年会で若松にいるので、ぜひ参加してきたいと思っています。
遠方から来られる方、きっと十日市は例年通り大雪になると思います。
寒い会津で、暖かい、美味しいラーメンをぜひどうぞ。
おいさんは、明日から新年会が3つも続きます。胃が持つかしら?なんて考えていたら、びっくりニュース。
毎年1月10日に開催されるお隣の会津若松市の十日市。今年の目玉は、会津B級グルメ対決冬の陣です。
以下、こちらのサイト から引用です。
【会津カレー焼きそば】(会津)※3軒のカレー焼きそばが競演します
焼きそばにカレーをトッピングするという全国でも珍しい会津のソウルフード。
カレーと焼きそばのコラボレーションが想定外の美味!
【只見味付マトンケバブ】(只見町)
只見焼肉といえば「牛でも豚でもなくマトン(羊)!」マトンを知り尽くした只見町プレゼンツ!
秘伝のタレで焼き上げたマトンをピタパンで包んだおしゃれなグルメ。
【ばんげ旨カレー】(会津坂下町)
名物の馬肉を使った超スタミナカレー。
坂下産酒米(清酒用お米)をパラリと炊き上げたライスに馬肉カレー、
トッピングに、これまた特産の立川ごぼうと胡桃を散らしました。
【美里ホルモン】(会津美里町)
田植え稲刈りには欠かせない美里のパワーメニュー。
豚ホルモンを甘辛味噌で焼き上げた、食べたらクセになるメニューです。
【塩川鳥モツ】(喜多方市塩川町)
塩川で鳥モツといえば、コラーゲンたっぷりの鳥皮を甘辛く煮込んだ絶品料理。
七味をふりかけ、ご飯のおともに酒の肴に。
食べればコラーゲン効果でお肌ツルツル?
【西会津味噌ラーメン】(西会津町)
「福島うまいもん№,1決定戦2010」グランプリ!
西会津名産ミネラル野菜をたっぷり使い、豚ひき肉とともにスープで煮込んだほんのり甘味の味噌ラーメン。温まります。
【喜多方ラーメン】(喜多方市)
日本三大ラーメンのひとつ、喜多方ラーメンがB級グルメに特別参戦!
数ある人気店の中から「あじ庵食堂」が出店します。乞うご期待!
何がビックリって、ごらんの通り、喜多方から塩川町の鳥モツと、我らの「あじ庵食堂」が出店しています。
喜多方のツイッター部で何かと話題の「あじ庵食堂」 →
私も、当日新年会で若松にいるので、ぜひ参加してきたいと思っています。
遠方から来られる方、きっと十日市は例年通り大雪になると思います。
寒い会津で、暖かい、美味しいラーメンをぜひどうぞ。