消滅か、受け入れか。誰が描くみらいを実現するのか
1. 2025年、「ワースト1位」の現実総務省「住民基本台帳人口移動報告(2025年結果)」によると、福島県は以下の結果となりました。・転入超過数(国内移動): -7,197人(40道府県中、ワースト2位)・社会増加数(総合移動): -6,101人(47都道府県中、ワースト1位)国内移動でのワースト1位は広島県(-9,921人)ですが、広島県は海外からの転入超過(+8,720人)で減少を食い止めています。一方、福島県は国内への流出を外国人の流入(+1,636人)で補いきれていません。 結果として「社会増加数」で全国最下位となった事実は、日本人・外国人の双方から「選ばれていない」という二重の空洞化を示しています。2. 「震災のせい」なのか「震災があったから人が減った」のでしょうか。福島県の人口減少は、震災前から続く構造的なトレンドです。・人口ピーク: 1998年(平成10年)の約214万人。・震災前の減少: 2010年(平成22年)時点で約203万人まで減少。震災前の12年間で、すでに10万人以上が減少していました。震災は、静かに進んでいた衰退の速度を劇的に早めたに過ぎません。1995年の阪神・淡路大震災を経験した神戸市は、震災で一時約10万人減少しました。それでも都市としての魅力と雇用基盤(住む理由)があったため、わずか9年後の2004年には震災前の水準(152万人)を回復しました。対して福島県は、震災から14年が経過しても減少に歯止めがかからず、現在は約174万人まで低下しています。震災以前から「若者に選ばれない地域社会」という課題を抱え続けていたと言えます。3. なぜ、若者は去るのか2025年の転出超過では、特に20代前半の女性の流出が顕著です。彼女たちが県外へ移動する最大の理由は、この場所に「自分たちのみらい(キャリアと生活)」を描けないことにあると思われます。県内の女性管理職比率は依然として低く、行政や地域組織の意思決定層も高齢男性が中心。ロールモデル不在の環境は、女性にとって「自己実現の不可能性」を意味します。より多様な職種、評価制度、自由な空気を求め、彼女たちが首都圏へ流出するのは合理的な判断と言えます。4. アンコンシャス・バイアスと制度の乖離各自治体は子育て支援などの政策を講じていますが、流出は止まりません。その背景には、社会全体に根付くアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)が存在するのではないでしょうか。 「育児・家事は女性の役割」とする暗黙のルール。 「女性がバリバリ働くより、家庭を守る方が幸せ」という価値観。 「若者は年長者に従うべき」という年功序列の圧力。こうした土壌の上では、いくら育児休暇などの「制度」を整備しても、心理的な利用ハードルは下がりません。「若い世代のために」と願う年長者がいても、システム自体が旧来の価値観で運用されている限り、若者にとっての「暮らしやすさ」は実現しないでしょう。5. 「意識改革」より「システム変革」を人口減少が進む中、地域維持のために外国人労働者の受け入れは不可避です。しかし、彼らを単なる「労働力の穴埋め」として見てはいけません。また、地域を去ろうとする若者や女性を引き留めるのも、従来の精神論では不可能です。福島県は今、これら「多様な人材」を対等なパートナーとして受け入れられる社会へ生まれ変われるかどうかの岐路に立っています。「意識改革」よりも、まずは具体的な「システム変革」が必要です。 意思決定プロセスの多様化: 審議会や経営層に若者・女性・外国人の枠(クオータ制)を設け、強制的に多様な視点を組み込む。 評価軸の転換: 「在籍年数」や「空気を読む力」ではなく、「成果」や「新しい挑戦」を評価する人事制度へ移行する。 相互理解の仕組み化: 受け入れる側だけでなく、入る側(外国人等)も地域のルールや文化を尊重できるよう、学習機会やガイドラインを整備し、秩序ある共生を図る。「自由(役割からの解放)」と「寛容(多様性の受容)」がシステムとして担保された時、初めて若者や女性、そして外国人にとっての「住み続けたい地域」が形成されます。6. 結論:インバウンドを突破口とした新しいみらい希望はあります。観光庁の統計によれば、コロナ禍以降、福島県のインバウンド(訪日外国人客)宿泊者数の伸び率は全国トップです。 世界は福島県の文化・食・自然に価値を見出しています。この外部からの評価を、一過性の観光消費で終わらせず、定住や就労(特定技能、デジタルノマド等)へと接続させる戦略が、社会増への突破口となります。かつての人口規模に戻ることは不可能です。問われているのは、人口が減る中で、いかにして「多様な他者を受け入れられる社会」へと脱皮できるかです。「昔はよかった」と過去を向くのではなく、次世代が「ここに住みたい」と思える景色を残すこと。それが、私たちの責任ではないでしょうか。