色々手がけると色々感じるもので・・・
色々感じると、無知さを痛感するわけで・・・
友人が言っていた。
『今、私、伝えたい時期なの』と。
それは、新しく勉強したことで知った事・学んだ事というのはとにかく誰かに伝えたい。
という事らしい。
確かにそうだね。
それは知識をひけらかすのではなく、純粋に『お得情報』だから伝えたいのであり、同時に、『自分が忘れない為』の行為でもある。
さてさて、そんな中・・・
仕事柄いろいろな子供たちを見ます。
see
look
watch
どの意味で当てはまるけど、一番多い要素はseeかな。
seeの状態で見てるんだけど、後々ふとした瞬間にそのシーンを回想してlookとして見たり、それがきっかけで次回はwatchとして見たりする。
そんな感じ。
その時に思うのね。
例えば・・・
自分の子どもには『こうなって欲しい』『ああなって欲しい』があるとする。
その中の例として、自主性のようなものに関することが多くなっていると感じるのよ。
・人前でモジモジせずにシャキッと立てるように。
・人前で多少の緊張はしてもきちんと発言ができるように。
・人前で多少の緊張はしてもきちんと挨拶くらいはできるように。
・自発的な行動ができるように。
・わがままとかではなく、選択肢を目の前に置かれた時に自分の意志で選べるようになって欲しい。
とか。
自主性
自発性
主体性
自律性
自立性
積極性
色々な言葉がいっぱいあるね。
結局、『人前に立ちたくない』『自分に決定権を委ねられたくない』という意志を持つ前の成功体験が重要な鍵になるのだと思う。
じゃぁそれっていつ?
思うに、小学校低学年くらいまでかな、と。
基本的に『手遅れ』はないと思っている私なので、小学校低学年を過ぎたからと言って遅いとは思わない。
ただ、頑なな意志を持つ前の方がいいよね、ってだけ。
例えば、私の例。
子どもの頃、ワープロのタイピングゲームが大好きで、コソコソ練習してたのね。
当時、地元の小さな新聞社でタイピングのパートをしていた母に連れられてその新聞社に一緒に行ってタイピングをさせてもらったことがあるの。
(今じゃあり得ないけど)
それを見たそこの社長が、
「お、凄いじゃないか!」
って褒めてくれたのね。
多分、大人と同じことができて大人に褒められた。
っていうのがとにかく嬉しかったのと、自分で自分が誇らしかったんじゃないかな?
それ以降、タイピングは大好きになって、今もなお驚異的なスピードで打てて、タイピング検定の1級レベルはあるんです。
要は、コレ↑でしょ。
自信を持てるかどうか。
嬉しかったかどうか。
褒めてもらえたかどうか。
タイピングのスピードが重要な職種ではないけれど、このスピードは私を助けてはくれています。
んでね、本業にそろそろ絡めますね。
音楽教室の存在。
もし音楽という存在が、社会不適合者にならない人間育成に携われるのであれば、コレは邁進していかなければならないと私は感じるんですよ。
そのためには、親子で参加できる習い事があった方が絶対にいい。
我が子、我が子以外の子ども、と隔てる事なく大人みんなで子どもたちを褒めること。
それだけで子どもたちは自分がやっていることにたいして自信を得ることができる。
『自分には向いてない』と勝手に決めつけることもなくなる。
それに対して、今とても積極的に話を進めようと協力してくれているアーティストがこの2人。
村越万利子
内山侑紀
まるで2人の宣伝のようになってるけど、まぁ宣伝でもいいや。
子どもの自尊心を良い方向に導くためには・・・と、とても考えてくださってる2人。
2人とも声楽家。
ご自身のコンサートを開催することが可能な現役演奏家だけど、音楽教育がもたらす人格形成についても熱心なんです。
あるあるな大人の例を書きます。
楽譜が読めない大人
・読めるようにはなりたいけど、今更無理
・子どもの頃に読めるようになっときゃ良かった
・自分には楽譜読むのは無理。むいてない。
(以下、楽譜を読む=新しい言語を習得する、と、仮定します。)
確かに今から新しい言語を覚えるのは無理だししんどいかもしれない。
けど、『出来ない』と決めつけているのは大人本人。
会話をするほど流暢にはなれないが、数字の読み方くらいは覚えられるかも。
つまり
英語での会話は無理かもしれない。
けど、
one two three four・・・
というのは読めるし言えるようになるかも。
文章は無理でも、私=I あなた=You、というのは理解できるようになるかも。
ということなんです。
そのチャレンジをせめてしていけたら、楽譜を完全に読めなくても、大事な部分だけはわかるかもしれない。
とは言え、大人になってからはしんどいかもというのは否めない。
だから、自分には無理、という意志を持つ前の子どもの時期にアレコレやっておくのがとても重要。
三女で放置されていた私ですら、子どもの頃のそのタイピングの記憶は嬉しい記憶として残っている。
それってほんとうに重要なんじゃないかってすごく思うんですよ。
演奏家が演奏するだけで終わったら、それは演奏家になってずっと発表会をやり続けているのと変わらない。
演奏家ってのは、演奏をするだけでなく、演奏することや演奏方法を指南したりする中で、どう社会と関わりを持ちながら『演奏する仕事』というものが職業として社会に密着していけるかを模索し、それを未来の演奏家たちに繋げていけるか、というのを考えるべきなのだと思う。
そう言った意味では、この2人の声楽家さんたちはとても未来に向けて生きている人だと私は感じる。
この2人が考える『こんな事をしたい』、については実現したいし、それにより、私も音楽を生業にしていることに対して多少なポジティブさを感じたいよね。
なんたって、今のままでは、演奏家なんて・・・ってやればやるほどネガティブになりやすいですからね。
自分が演奏家としてどうなのか?は、もはやあまり興味はなく、私の演奏については『どれだけ私が謙虚に積極的でいられるか』が重要なだけなんです。
それよりも、私が死ぬその瞬間に
演奏家って仕事、
なかなか良い職業だと思うよ!
って、言えるかどうか?
がよっぽど重要。
よって、今月の目標・・・
音楽教室部門の更なる向上
▪️入会する音楽教室のスタイル確定
▪️入会しない音楽教室の模索
(親子で参加できるもの?)
いずれも、音楽を日常化することと同時に、志ある演奏家たちのその『志』がゴミ箱行きにならないようにしたいものですね。
https://k-saxmusicsupport.com/
あ、私、↑ココの代表です。