炉心溶融(メルトダウン)

 原子炉に装荷された核燃料が、冷却水の喪失などが原因で高温となり、燃料自体を溶かしてしまう現象。最悪の場合、原子炉圧力容器や格納容器、原子炉建屋といった構造物も破壊し、外部に放射性物質を大量に放出する恐れもある。海外では、1979年3月に起きた米スリーマイル島原発事故が有名で、機器故障や操作ミスなどが重なり、冷却水が流出。炉心溶融から周辺環境に放射能を放出する事故となった。


これにならないで、溶融炉と外壁間に発生した水素ガスが爆発したようで、原子炉圧力容器や格納容器ではないと言うが、その原因はメルトダウンであるかどうか絶対追求しなければならない。決して楽観視してはいけない。しかし軽症であるとの政府声明です。  

よかった。よかった。


多方面、1号炉の他、3号炉もメルトダウン状況になり原子炉のECCSが、コントロール出来ない状況下にあるとも言われています。


1号炉は海水を注入して原子炉を閉鎖する様です。

3号炉もこの様な状況下にあり、2基とも機能停止させる計画との状況下にあるようです。

他の連立している原発の状況も大変心配であり、廃炉方向にすべきで被爆者も多数出ているとの情報もあります。




本題:3月10日の夕方東京事務所で打合せしました。


翌日、以前から予定の2011年3月11日に首相官邸に行く事となっていました。

まさかこの様な大事件に遭遇するとは・・・・・・・・・


さて、午前11時ごろ、衆議院議員第一議員会館に行き、手続きのついでに国会を見せて戴きました。

昼食も国会で食べました。以前より全体が新装となりメニューも沢山ありました。以外に美味しく安いですよ。



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議員事務所から見て、首相官邸公舎が良く見えました。


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端から見れば国会議事堂の裏側っが良く見えました。


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私も記念にパチリッと!(露出オーバーにしています)




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国会内廊下です。

予算委員会が間もなく休憩となります。


議員会館もすべてが広く、面積が倍以上になり、室内会議室もありました。

議員事務所は何もかもが2.5倍になったようです。


国会地下通路もなにもかも新装した地下道を通り国会へ行きました。

沢山写真を撮りましたが省略します。




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時間になり首相官邸へ


ここでも、IDが必要で警護官が頑張っています。

その後は官邸内は秘書の方が案内してくれました。

これでやっと首相官邸に入れます。

やれやれ!




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首相官邸正面です。




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菅首相や枝野官房長官が報道する檀上です。

発表者によりバックのカーテンの色が変わるようです。



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3月11日当日の通常報道準備中です。


まさか、日本地震観測以来の大事件がこのあと1時間程して

枝野長官から発表されるなんて信じられない事です。




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不謹慎ですが、この時には枝野官房長官になったつもりです。


いや、それとも菅首相かな?

仙石前長官かな?


この施設は思ったより照明もばっちりでした。この時、1時半過ぎ頃でした。

この後、3 時ごろ政府発表で枝野長官が大地震の発表をこの場でするとは思いませんでした。




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大事件の前であり、そのようなことになるとは知らずに、大広間でもパチリと(露出オーバーにしています)




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閣僚認証する時に使用する階段だそうです。

丁度、筆者の位置が菅総理の位置のようです。

良い思い出になりました。



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諸々の所用も終わり、綺麗なトイレにも入りました。


その後、1時間くらいして大きな事件に電車の中で遭遇するとは、信じられません!。






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枝野官房長官の第1回の政府発表です。

東北地方地震、原子力で住民避難3k範囲程度と

いつもとは違い憔悴しきっています。(原発で深い事情が覗えます)


重大事故の予感をしているのか!悲愴な面持ちです。

先程は福島の原発の放射能警戒区域と避難地域拡大し、10Kmから20Kmになったようです。

18万人も、どえらいことです。!!


被爆者も多数いるようです。

津波で1万人以上の不明者があり、最悪2万人以上の重大震災被災者が出るよう模様です。


自衛隊も2万人から5万人に、更にもっと増やす計画で北沢防衛相に指示したようです。いや10万人態勢か!

しかし、一挙に20万人以上の自衛隊を陸海空挙げて出すべきと願います。いや、出すべきです。


アメリカの空母も支援に来てくれます。

ロシアも燃料や電気の供給が出来るはずです。一番近くにロシア、韓国がいます。


原子力の大問題があり経験のある対策に教えを請うようです。

メルトダウン対策が急務です。本当にえらいことになりました。


ヨードの需要が必要となり、被ばくを受ければ甲状腺に異常をきたすので、ヨードの服用が不可欠のようです。




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渋谷駅では(ITから・・・・震災後の参考資料)




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みんな車外に出て3階上の地上にみんな我先に走って行きました。

余震もあり、少しは心配しました。田園調布の地下プラットホームです。



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駅前広場に乗客や周辺の方々が避難された田園調布駅の現状です。



地上に出るとご近所の方や乗客でごった返していました。約500名程度は参集していました。


ここに至るまでの経緯は

地下鉄に乗り渋谷で東横線に乗りかえ地下3階の田園調布駅で地震に遭遇しました。

電車の中は、大きく揺れてショックアブソーバーがガンガンと効いて大揺れに揺れました。


恐らくは地面の倍程度揺れたように思います。

イスラムの服を着た方が、パニックになりドアーが開いたとたん転げるように社外に出ていました。



ここから、大変な苦難の道であります。

余震が続き、駅員は地震で電車が止まりました。を連呼するばかりです。

その他は何の情報もありませんでした。


私は、裏側に歩いていきバスセンターを見つけ、バスで何処かに行けばいいと思い蒲田駅行きのバス停を

見つけて、寒風吹きすさぶ小雪交じりのバス停で30分立っていました。


東急バスの職員は蒲田付近の信号機の故障でバスが来ていません。を連呼するばかりでした。

この時点で100名は並んでいました。タクシー乗り場も100名以上は並んでいました。


バスの職員に臨時バスか折り返し運転バスを要請するよう言ったが、同じことしか言わないので、思わず

本社に電話するよう促し、やっと公衆電話をかけました。


当分はこの停留所にバスは来ないようで、とりあえず羽田飛行場に向かって歩く決意をしました。

大体、18km程度と思い歩くことにしました。


他の方は未だ何時来るとも判らないところで待っているようです。外気温は0度に近いと思いました。

とりあえず環八まで歩くことにしました。


環八では警察官が出て、交通整理しているが大渋滞で全く動いていません。

これでは何時間待ってもバスや電車は来ないことが判り、自分の判断が正しいと思いました。


それにしても寒空で環八を羽田空港にに向かえば何とかなると思いました。

1kmは約15分から20分と計算すれば18Kmから20Kmなら4時間から5時間も歩けば行けると考えました。


3時間程歩いたと思いますが、間もなく蒲田方面と標識に書いてあり、相変わらず大渋滞をわき目に足裏が痛くなり、兎に角JR蒲田駅に行けばなんとかなると思い、寒さのあまり体も思うように動かなくなり遂にダウンしました。



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通常のJR蒲田駅




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当日のなんと、蒲田駅では自転車を売っていました。

価格は12000円から24000円程度で150台以上、飛ぶように売れたと言っていました。


このときにこんな写真を撮ってる場合ではなかったのです。


心筋梗塞が始まったばかりで、胸が痛くなりだして苦しい状況になり始めました。

以前患った梗塞と同じ症状で1分でも早く病院へと思いましたが、駅に行く通路に

へたり込み、寝ころび苦しさの余りのたうち回ったたようです。


だんだん息苦しくなり、交番が見えた途端にへたり込みました。

誰かが、声をかけてくれてた。


「たぶん心筋梗塞の発作と思う」と、苦しいさなか死にそうな声で言うと、

近くの消防の救急に連絡してもらい、2分ぐらいで救急車到着!


「どうしましたか!!」

「心筋梗塞のようです」


無線連絡で近くの病院に搬送されるようです。

救急に乗り込みました。


警察の交番は近いのに気付かなかったのか、救急車で気付いたようです。

兎に角、苦しいのでともあれ病院に行きました。


心電図やエコーなどで検査した結果、どうやら冠状動脈に狭窄があり、チェックするためカテーテル検査するといわれ、立派な心筋梗塞患者のようです。即入院です。


右腕から挿入して心筋の番号は聞いたが、太い動脈で真ん中から分かれている枝管の中間部の折れ曲がり部分が狭窄しているようで、バルーン治療をしたようです。


施術中何回か胸が熱くなったりして、1時間ほどでバルーン治療は終わり、まんまるいボールのようなもので、右腕中間部分の動脈の止血を6時間程するよと言われ、その間、ぐっすりと寝たようです。


朝方、検温で目覚めました。

応急処置は済んで2,3日安静にすれば帰れるが、帰阪すれば再検査するようにと言われまたまた命拾いしました。


1日過ぎて、隣の患者さんにパソコンを借りて」ブログを書いています。

何時でもUSBスティクを持ち歩いているので、パソコンさえあればブログはOKです。


終わりかけに看護師さんに見つかり現在時刻午前1時頃であり、直ちに中止するよう言われてこれで中断します。

あすの午後には帰れると思います。(もう本日になりました)   


火曜か水曜には大阪に帰れる予定で調整しています。

ああまた迷惑をかけてしまいました。ごめんなさいね!  きたやん(osaka)より


(一部の写真はインターネットから引用しています)