仏法をよく理解して居ない人は、自分は自己の命を生きていると思っています。
しかし正しくは個々人の命は平等に皆仏の命を生きているのです。
即ち永遠の無限の大きな生命から誕生したのが人間です。
故に人は皆同じ命を共有して居る事になります。
一人一人の霊魂は異なっている様に見えますが正しくは一つの大霊からなっているのです。
しかし生前個々人は有してはいけない煩悩に明け暮れし、煩悩を抱いたまま霊界に赴きますので大霊の一部を自己の霊とし、孤立してしまいますので、自己として何度も輪廻転生します。
そして自己の霊意識が解消して来ますと、大霊に帰って来ます…帰命…のでそれが仏の大霊に帰ったと云う意味で帰命無量寿如来と云うのです。
即ち大霊に帰る事は仏に帰る事ですので、帰命仏=成仏したと云うのです。
其れでは帰命仏=成仏するには如何すればいいのでしょう?
繰り其れは繰り返し述べて来ました様に仏の命よりなる事を強く意識した生活を送る事であります。
即ち仏の命を生きる事です。
自己の命を生きるのでは有りません。
仏の大霊=大霊根が自己、人々となって現れているのだと…。
現象に囚われず、解脱する、戒を保つ、積善する、空になる、無になる etc… 等に囚われず只管、<仏の命が我が命>と、日々、時々、刻々強く認識、意識し仏の命のままに人生を送る事であります。
仏法の教えは唯一つ、仏の命に生きよ!
此の事を直指人心見性成仏(ジキシ、ニンシン、ケンショウ、ジョウブツ)=自身の心は唯一つ、本性仏よりなる事を徹見する事である。
肉体、物質は死ねば無くなる。
しかし死んでも無くならないのは仏の命のみである。
仏の命は久遠より永遠にあり、人は本来久遠より成仏して居るのでありますが、今人型(ヒトガタ)として現象化してみれば、環境の現象に囚われてしまっただけであります。
しかし其の囚われに依り、本来の楽が苦に変わり、その苦に又囚われ輪廻転生しているだけであります。
しかし其の囚われからも中々脱出出来ないので、最後唯一の手段が唯只管に自己の本性仏性は=「自己の命が仏の命である」事に周知徹底せよ。
という結論です。
仏法の多くを語らずとも、唯「仏の命を生きる」と云う事にのみ意識した人生を送る事が一番大事な事です。
人生は出生、恋愛、金銭、健康では有りません。
例え病人でも、貧乏でも、肩書が無くても、寿命が短くても、僅かの残された人生出会っても、仏の命を生きる事に専念出来れば、それで成仏は確証されます。
其の助行が念仏であったり、読経であります。
一番大切な事は自己の本性は仏の命である事の認識、意識であります。
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菩薩 天女

光生 画