人生問題(35)
古代より「気」、気学、気功、気配、気質、気迫、気抜け、気張る、気晴らし、気持ち、気鬱、気重、気落ち、気がかり、気持ち、気苦労、気色、気性、気丈、気絶、気楽、等気と云う言葉が平気に、気軽に庶民に用いられています。
しかし「気」の意味が正確に普遍的解釈が理解されていない為、非常に解かりずらい言葉として独り歩きして居ます。
此処ではどなたも理解し易い、普遍的な意味の「気」に就いてご紹介します。
「気」と云う言葉が上記の色々の表現に変化して居る為「気」其のものに基本的な解釈が有りません。
そこで気は鬼(き)に通じ人間界の約束が絶対的なものとして、気は=鬼=強い=怖い=絶対的=回避の出来ないと云う考え方はどうでしょう…。
例えば
正月は1月1日ですが別に1月10日でも、2月1日でも良い訳です。
又大吉、大凶、仏滅等は暦通りで無くても、国民が賛成すれば他の日でも良い訳です。
祝日等は政府が考えて作ったものであり、万国共通では有りません。
東西南北の方角とか、その他諸々の色んな約束事は全て人間界で人間が作ったものであり、絶対的なものでは有りません。
又時代によりその背景の変化から変わって行きます。
しかし其れを遵守しませんと、世の中がばらばらに乱れ、秩序が保つ事が出来ません。
又早い話が、手が二本で、足が二本で有ることが原則であり、その数が異なつて居れば人は異常と感じてしまいます。
しかし仮に宇宙人から見ればその数が6本であつたりするのが正常と思うかもしれません。
即ち我々は常に<ねばならない>と云う事に非常に拘束され、拘りをもつて居ます。
これはどの時代でも同じ事です。
そして此の約束事を破る事が無いようにと常に心に有るのが気=鬼(き)なのです。
鬼とは心の励みです。
そしてそれらの事を遵守しょうと常に働きかけて居ます。
ですからどの様な行動も、此の気が働いて其れを最優先として居ます。
例えば既に前章で紹介しました鬼門がそれです。
別に東北が表鬼門であり、西南が裏鬼門と約束しなくても良いのですが、中国の儒教で既に鬼門の位置を決めています。
其れは科学的根拠が稀薄であるにも拘らずです。
しかし、中国、台湾、朝鮮を始め日本ではこの鬼門を大変大切にします。
其れは約束事だからです。
周知の事実として全ての人が記憶して居るからです。
そして其の約束事に向かって常に行動を起こします。
其の行動を起こさせるものが気即ち鬼の気です。
鬼のごとく厳重に守り遂行して行こうと、心が働くのです。
特に建築等では優先して鬼門を避けようとします。
其の発想が<気>≒鬼なのです。
そして其の気(鬼)の通る道として東北から西南の方角を決め、表鬼門、裏鬼門として居ます。
確かに此の約束事を無視しますと矢張り色々な問題が出て来ます。
其れは何故でしょうか?
其れは国民全体の思い、念がエネルギーとして潜在して居るからであります。
その思いこそ此の世が心の世界である事の証拠です。
例えば国民が戦争したいと思えば矢張り戦闘に走ってしまいます。
それは国民の気が働いたからです。
国民が1月1に日が正月と思えば国民全体が1日を正月として体を休め祝います。
正月で無いと思はぬように鬼≒気が働いているからです。
ですから四柱推命等と同様に気学も大事なことなのです。迷信として無視は禁物です。
確かに迷信に見えますが、人間界の心持、気の働きが有るから約束事として重要な事なのです。
道徳も、習慣も、先祖の思いも、皆気から来ています。
ですから親孝行、先祖供養、は大事な事なのです。
此の気から逸れると病気になってしまうのです。
例えば頭は先祖を表し、首は頭の根に相当します。
首を絞めば、死に至ります。
又頭の先祖を大事にしないと、自らも脳梗塞、脳溢血、即ち卒中となり、根は腐り自らの首を絞める事となり、そしてその家族は絶えて行きます。
先祖供養は先祖を大事にすると云う、「気」から来ているのです。
即ち国民性としての日本人の共通の修身から来ているものであり、先祖も同じ考えを共有してき来た事によるのであります。