三宅はホラー小説大賞に落ちたことをホームページで知った。さほど落胆はしなかった。しかし理由は分からなかった。自分で思うに小説の体を成していなかったのが原因だろう。『PYG』の残虐性が嫌われたのかもしれない。普通に考えるなら自分のより他の小説の方が優れていたためだ。それはそれでいい。しかし先ほどのカウンセラーの言動が頭の中で反響し頭脳を焼いた。あの女、とんだ食わせ物だったな。あんな女に心を開いてカウンセリングを受けていたのか。身の毛がよだつほどの恥ずかしさと怒りがこみ上げてきた。女はみんなそうだ。彼は過去に付き合ってきた女を思い起こした。或るところまでは我慢して別れるときに爆発する女がほとんどだった。切り刻んでやろうか。彼はそう考えて自分でもぞっとした。

 

 松浦綾子は興奮が冷めなかったので、今日予定しているカウンセリングを全てキャンセルした。そして三宅が待ち伏せしているんじゃないかと疑い早退した。しかし常識的に考えてストーカーにはならないだろうと思った。これで二度と彼に会わずにすむと思いほっとした。彼女は彼とのカウンセリングに自分が思っているよりストレスを感じていた。五十歳をとっくに過ぎているのに新人賞にでも投稿したのだろうか。呆れて笑えない。才能があるのなら二十代で成功している。爺さんに「もう無理だ。諦めなさい」。彼女はカウンセリングで何回もその言葉を言おうとしたが思い留まった。カウンセラーという仕事なのでクライアントの馬鹿げた話を腹いっぱい食べさせられた。彼女はカウンセリングの後半に入るとお札が目に浮かび、早く時間が過ぎないかと思った。仕事場では優秀で冷静な善人のイメージを演じなければならない。病院の出口を一歩出た後、彼女の表情は一変して鬼の形相になる。彼女にも複雑な二面性があった。家に帰って自分の顔を鏡に映した。そこには醜い鬼の顔があった。

 綾子は密かにこの世が破滅すればいいと思っていた。夫も息子も死んで消えてほしいと願っていた。この点については実のところ彼女と三宅は同じだった。彼は自分が何のために生きているのか分からないと言ったが、彼女にとってもそれは真実である。夫と息子を愛しているふりをしているだけである。心の中で何度も殺したことがある。でもそれは煩悩からくる妄想だった。彼らのことを愛しているのに変わりはない。どこまでも純粋に愛することなんか可能だろうか。この世の破滅とか彼らの死を願うなどとは心の僅かな部分しか満たしていない。怒りに身を任せたら三宅のような破綻した生活を送らなければならない。それだけは勘弁だ。彼は半分禿げ上がり厚い眼鏡をかけていたが自分の容姿を鏡で見たことがないのだろうか。そうすれば自分の老いた醜さを確認できる。どこから見ても太った老人だ。小説なんか書くよりもダイエットをしたほうがいいのではないか。彼女は真剣にそう思った。朝早くにジョギングして心臓発作で死んでしまえばいいと願った。少なくとも彼が今するべきことは小説を書くことではない。町内会でも入って地域に役立つことをすべきだ。爺さんは爺さんらしくすればいい。若い書き手を望む編集者たちに六十近い爺さんの小説なんてタイトルくらいしか見やしない。不毛な努力だ。若くして死ぬことを夢見ていた彼女には三宅がいつまで経っても自殺しないのを軽蔑していた。だけど今の私には家族がいる。家族とは自殺防止に役立つだろう。大学院で将来を案じていた時期には死を考えた。夫と子供の前ではそんな様子は全く見せない。私は救われたのだ、彼女はそう思った。