彼は学力が足りないのを実感していた。志望校は早慶だからである。彼は浪人することを母を介して父に伝えた。浪人生活は既に語った。愚かしい浪人生活であった。彼は中学までは優等生で人生を支配していると思っていた。実際健康も成績も申し分なかったからである。中高一貫にせよ変わってしまう生徒はいるものである。彼はその典型であった。グループサウンズ全盛の時に思春期だったことも大きい。彼は夢中になり、将来は自分もと本気で考えていたからである。そこら辺が子供の考えである。でもグループサウンズのような成功例が頭に焼き付いていた。成功するのは星の一欠片だということは分かっていたが自分がそうなることを疑わなかった。だいたいが慶應大学に入れるものと、加山雄三の「若大将シリーズ」に憧れていた彼は信じ込んでいた。慶応に入って加山さん演じる主人公のような学園生活を送れるものと信じて疑わなかった。

浪人生活を送りそれらが泡のような夢であったのかもしれないとやっと気づき始めた。彼は現実よりも夢の中に生きていた。内藤洋子さんや星由里子さんのような女友達ができて毎日が薔薇色のように送れるものという信念は揺らぎ始めた。実際の彼の大学生活はそれと真逆になった。

一年浪人して彼は青山学院大学に入った。前に書いたように志望校ではなかった。彼はかなり落ち込んでいた。それでもそこから人生を始めなければならない。フランス文学の最初の講義で饗庭先生が黒板の端から端まで必要な書物の題名を書いた。彼らは相当驚いた。フランス文学科であるから当たり前なのかもしれない。それから何度目かの講義で饗庭先生が吟遊詩人の音楽をテープで聴かせてくれた。青春に挫折した彼はその歌声に感動した。教室の隅で彼は声を出さずに泣いていた。涙を白いハンカチで拭った。それでも涙は後から後から流れて来た。

先生が言った。

「青春は激しい嵐が吹き荒れる怒涛の季節だ。だがそれを実感するのは過ぎてからだ」

 先生のところから彼が心を震わせ泣いているのが見えただろう。音楽が終わって、彼が勇気を出して「テープを貸して下さい」と先生に言えたならその後の人生は全く違ったものになっただろう。彼の書いている小説を読んでアドバイスをしてくれたかもしれない。ここの部分については最近書いた詩があるのでそれを載せたい。