青春が吹っ飛んでしまった。さらに言えば将来が吹っ飛んでしまったのである。彼はずっと暗い気持ちと戦ってきて鬱病で入院もした。お婆さんも2年後に癌で亡くなった。彼はずっと運命を呪ってきた。でもハンドルの変形への僅かな躊躇で全ては何もなかったのかもしれないのである。それも自分の意志であったから自分の責任であるのは間違いないが。もっと注意深い性格であったならそんなことはしなかっただろう。

映画の「イージーライダー」の最後も悲惨な事故で終わっている。今から思えばバカだったのである。オートバイの爽快さへの陶酔で高校時代を過ごしてきてそれを自分で終わらせたのである。

 事故後最初に学校へ行った時のことを覚えている。彼は母と一緒に行ったと思う。そこでクラスメイトに詫びた気がする。高級ボールペンをみんなに配った。その記憶はある。

 

 50年経ってしまうと記憶は断片的に古い写真のようにしか甦らない。繋がりがなくなっている。それでも彼にはそういう断片がたくさんある。その断片を思い出す時にはある程度その時の感情すら思い出してくる。その時彼は17歳になってしまっているのだ。17歳の彼が甦り話をしている。所々話した内容を覚えているのもある。その頃の記憶力はすごいものがある。オートバイを手にした彼はそれだけで、バイクを欲しがっている子たちの羨望の的になった。もっともバカにしている人たちもいたと思う。不登校で断ち切られそうになった糸はバイクによってつながった。でも相変わらず勉強はしなかった。あの頃勉学に励んでいれば全く別の人生が広がっていただろう。そういうことはまるで頭になかった。

父が彼にバイクを買い与えたのには今から思うと理由がある。彼は父の婚外の子だった。一週間に一回しか帰ってこないため親としての引け目があったのかもしれない。彼は20歳まで正妻の子だと思っていた。いやそんなことを考えたこともなかった。父は向こうの家庭に3人、うちに2人子供をもうけた。秋葉原や上野、王子で中華料理店を開いていて経済的に豊かだったのだろう。だが、母は生活費を駅前の自転車預かりという男でも大変な仕事をして独立して稼いでいたのだ。父の癖として女性に店を任せて働かせ自分は趣味の釣りに遊び歩いていたというのがある。それが父の女性に対するやり方なのだ。母はそのため大変苦労した。彼を背負って仕事をしたために足に深刻な静脈瘤ができてだんだん歩けなくなってきた。浦和駅前という一等地を維持できたのはみんなの犠牲の上で成り立っていたのだ。