榎本と昔話に花を咲かせていた。そう言えばと話が始まった。彼の最も恥ずかしい出来事は文化祭で「旅の宿」を四番まで歌ったことだ。四番に入る時のお客さんのため息が分かった。彼はそれ以来、そのことを思い出すと死んじゃいたい気持ちになるのだった。

 彼の頭の中は昔のことでいっぱいになった。そうだよ、楽しいことはいっぱいあった。でもあの事はいつも頭の片隅にあった。お前は笑っちゃいけない、楽しんじゃいけないという声のようなものはいつも聞こえていた。でも聞こえないふりをすることもあったのだ。それも若さゆえと言えるかもしれない。すっかり脇道に逸れた彼は勉強をほとんどしなくなった。自転車での日本一周はバイクでの日本一周に変わった。高校二年の夏休みに彼はそれを成し遂げた。でも別に大したことじゃなかったと今なら言える。テントを積んで野宿もしたり旅館に泊まったり楽しかった。だが彼の安物のカメラはバイクの振動にやられてしまい一枚も残っていないのが情けないところだ。とにかく彼はバイクが大好きだったのだ。それがあんなことになろうとは。彼自身全く頭の中に予想もしていなかったことが起きた。それは一生を台無しにしかねないものだった。それ以前の彼は無垢だったといっていい。何の罪も知らず心を責めるものは何もなかった。あのまま人生が進んでいればと何度後悔に苛まれたか知れない。だが起きたことは決して変えられない。

 

 でもそれからは勉強をするようになった。だが基礎がなっていないせいで現役は無理だと分かった。それで一浪して青山学院に入ったのだが早慶しか考えていなかった彼には完全な滑り止めだった。慶応の仏文科しか考えていなかった。彼は青学の軽いイメージがとても嫌だったのだ。慶応の仏文科で文学サークルに入ってとしか考えていなかった彼にはだんだん足が遠のく原因にもなった。しかしそれだけではない。彼は文学そのものも嫌になっていたのだ。フランス語を読み書きできてどうなる。彼はカミュやサルトルらの実存主義文学に興味を抱いていた。地元の映画館でカミュの「異邦人」を観たことが仏文科を目指すきっかけとなっていたのだが、その時見ていなければ仏文科に入っていなかっただろう。「今日、ママンが死んだ」という出だしにやられた。映画でそう描かれていたかもう忘れてしまったが、小説ではそうなっている。当時母親との関係に悩んでいた彼には、喪に服するところをガールフレンドと遊び歩いた主人公が、その普段と変わらない生活を続けた主人公が、そのことによって糾弾され死刑になるというストーリー、それと太陽があまりに暑かったから銃口を引いて人を殺してしまったというストーリーに驚いた。そんな小説を彼は読んだことがなかったし、マルチェロ・マストロヤンニの演じる人物像が彼の心をぐいぐい引っ張っていった。カミュ自身は実存主義文学とは言っていない。むしろ実存主義が終わったところから異邦人という文学は始まると言っている。彼はフランス語に全く興味がなく実存主義文学に興味があったのだ。だが大学に入り、文学の無力さを感じるようになり、科学の持つ圧倒的な力に関心を持つようになった。それで一度編入も考えたが、自分の書いている小説を完成させることのみが彼の関心事になった。ダンテの新曲やさまざまな文学の影響を受けたその小説を完成させることしか頭になかった。それでデビューできるものと考え学業も疎かになった。そうしたことで大学から足が遠のくことになったのだ。今から考えればなんて愚かなと言えるが彼はあまりに孤独で相談できる相手もいなかった。教授に相談しても良かったと今なら言えるが彼は孤立していた。