随筆  伊豆の思い出

 

 

 

伊豆といえば川端康成、川端康成といえば伊豆の踊り子である。

歴代の女優が演じてきたが、私はちょうど思春期にあったので内藤洋子の「伊豆の踊り子」が印象深い。その純真な踊り子のイメージは彼女そのものだと思っていた。

その頃友達とバンド活動をしていてギターの裏に彼女のブロマイドを貼っていた。彼女はドラマ「氷点」で主人公の陽子を演じていた。字は違うが運命的なものがあったのだろう。

 

川端康成の生前の印象は孤独なお爺さんというものであった。でも人の心の裏を明徹する両の眼は只者ではない人物と生意気にも私は思っていた。

 

さて時代はぐっと遡りドローンで時空を越えて彼が一高生時代、実際に伊豆の山道を歩いていた頃に飛ぶ。景色はどうだろうか。だいぶ変わったところもあるだろうが基本的には同じであろう。彼の歩く姿がドローンを通して頭の映像に浮かぶ。

ヒョロリとした痩せぎすの一高生の帽子をかぶった青年が歩いている。この帽子は当時地方から出てくる青年の憧れだったろう。トンネルを抜けていよいよ踊り子たちに彼が出会う場面になる。

孤独な青年にとって旅の一座と会するのは気が重かったろう。でも歩くスピードを変えるわけにもいかない。

青年はー川端康成ーはいつしか合流して言葉を交わすようになった。一座の人たちにとって一高生は大変なエリートだったろう。当時こんな言葉がないのでどう表現したらいいか。

彼は自分からそう年の離れていなそうな踊り子に心が惹かれた。彼女の無邪気さは彼の心を和らげたに違いない。あんまり言葉が弾むので彼女はお姉さん方に注意される。

『この方は私らと身分が違うんだよ』

そうたしなめられたのかもしれない。

当時旅芸人は身分が下に見られていた。彼もそれはわかっていたのかもしれないがあくまでも対等に接しようとする。

そして有名な裸のままの彼女が湯治場から彼に向かって手を振る場面がある。私は内藤洋子さんを思い出してドキドキする。

彼が「子供だったんだな」と思いコトコト笑う場面はとても素晴らしい。もしも現実に私が伊豆の旅に出ていて有名になる前の内藤洋子さんに裸で手を振られたらと思うと感動的な場面である。

 

 

 

 

 

さて私の母と生前、湯河原へ湯治に行ったことがある。母は私と姉を育てるため相当無理をしていたので重度の静脈瘤になって歩くのが困難だった。

当時所有していた車で一週間程度温泉巡りをした。母は大掛かりな手術となるのを嫌がり、湯治による回復を選んだ。

手術をしない限り根本の治癒にはならないのは知っていたが、母は手術を恐れていた。完全に歩けなくなるのではないかと思っていた。

私はどんな手術も応急処理だと思っている。完治させるものではなくその時をやり過ごすくらいのもので、歩けるようになるといっても、よくて足を引きずる程度のものと思っている。

それは数年前、母が子宮がんになり手術をして後遺症が残ってしまったからだ。できれば手術はやらない方がいいと思っている。母は全く歩けないわけではない。失敗して責任を取らないであろう医者に不信感を持っていたのだ。

私たちは湯河原で手を取り合い温泉巡りをした。それは親子の最後の心の触れ合いだったのだ。というのは数年後、末期の癌で亡くなったからである。

あれから数十年が経ってしまった。今度は私が歩くのに苦労して家に閉じこもっていることが多くなった。

この度、伊豆文学賞というのがあるのを知り当時を思い出して書いているのである。私は人生で数度「伊豆の踊り子」を読んだがまた読み直してみた。感想は意外にも幼いなというものだった。

 

 

 

 

 

川端康成が幼児から父母、兄妹姉妹、祖父母を亡くし、孤児になってしまったと嘆くのはわかる。でも言ってみれば私も孤児と同じである。人間は誰でも最後は孤児なのだ。それを嘆くこともできない。嘆くことのできた青年の川端康成は幸せである。

もちろん年齢の違いというのはある。そうであれ嘆くことのできた川端康成は今の私に比べれば幸せである。

週に一回、ヘルパーさんと訪問看護師が来る以外私の生活には変化がない。寿命はあと数年であろう。私には希望がないが泣くこともできない。泣けるのは青年の特権である。憂鬱になるのもいいだろう、感傷に甘えるのもいいだろう、青年は自由である。

今の私の場合感情は何もない。あるとすれば不安のみである。死の恐怖などというものは当たり前すぎて感情に入らない。今の私からみれば「伊豆の踊り子」は幸福の文学であると言える。若い時は主人公の悲哀に同情できた。でも美しい踊り子との出会いなど幸せに満ちているではないか。青春の輝きに満ちている。

どこか悲しい小説に若い頃は思っていただろう。だが苦悩すら輝いている。

私のように老齢に入ると喜びは何もない。せいぜい朝日や夕日の美しさに感じ入る以外にない。だがそれが年を取ることだと思っている。時たまこういう文章を投稿に送る。結果は分かっている。でもそれでもいいかなどと諦めている。仕方がない、これが人生だ。

もうすぐそれも終わる。この世から何もなくなるのだ。存在した証として骨と灰が残ればいいところだ。

若い時と決定的に違ったところは自殺への欲求がなくなったことだ。若い時はいつも死にたいと思っていた。今はそれがない。自分から死のうと思わなくても死は自然に向こうからやってくるからだ。自殺とは死が遠い贅沢な人間のやる行為だ。

もちろん若くして死病に取り憑かれることはある。それは気の毒と言わねばならないが若い熱狂のうちに死ねるのも幸せと言える。

 

 

 

 

 

だが川端康成の自死は分からない。事故との見方もあるが。私も睡眠薬を飲んでいるが、彼は飲んだうえ、さらに激しい行動を取っている。名声を得ながらもなお書かねばならない作家としての宿命か。才能が書かさずにはいられなかったのか。それにしても若き日の「伊豆の踊り子」からずいぶん遠くへ来てしまったものである。

 

さて再び「伊豆の踊り子」の時代へドローンを飛ばそう。

「伊豆の踊り子」という小説は孤児根性の(すごい言葉だが)学生が鬱に耐えきれず伊豆へ旅に行くという話である。そして旅芸人の一座に巡り合い、踊り子に心惹かれ、彼女からも慕われ、癒されるという旅情小説である。最後主人公は頭が水のようになって、涙がこぼれ甘い快さだったと書いている。心が浄化したのだろう。旅に出て自分を違う面から見られたのかもしれない。

「伊豆の踊り子」は歴代の人気女優がその一番美しい時期に演じている。今、手に入りやすいのは吉永小百合版だが、さきほどの内藤洋子の他、山口百恵らが匂い立つような演技をしている。

旧高等学校の学生と一座の踊り子の間には今では考えられないほどの身分の差があったのだろう。

ドローンは私に当時の現実の姿を見せてくれる。青年の川端康成を、見えないドローンが追いかけてくれる。旅の一座と交流しているようだ。薫とはあの子だろうか。幼さと妖艶さの入り混じったような娘だ。十六、七歳に見えるが小説では実年齢は十四歳になっている。豊かな黒髪と黒い大きな目が初々しい少女だ。

東京で卑屈になっていた青年がここでは溌剌とみえる。気持ちが解きはなれたのだろうか。温泉宿で勉強に励むが踊り子が気になって仕方がない。おまけに夜は宴会の馬鹿騒ぎだ。騒音が気にならないのだろうか。後に文豪になってからも通っている。おそらく特別室が用意されていたのだろう。

細々としたところは小説で書いてあるのでドローンも少しお休みしてもらおう。

 

 

 

 

 

伊豆の今井浜へは母が歩きづらくなってきてから三泊四日で行った。この時期を逃したらもう歩けなくなっていただろう。母とは砂浜を一緒に歩いた。

 

母は穏やかな波を「こわい」と言って近づかなかった。母の小さくなった肩を抱きながら私は悲しみでいっぱいだった。私と姉を育てた母はもう疲れ切っていたのだ。旅館の部屋で見る夕焼けは素晴らしく美しかった。食事も豪勢で限りがなかった。甲斐性のない私が初めて一緒に行けた旅だった。

母は「一回だけだったね」と言った。私は涙に暮れる以外なかった。

 

「伊豆の踊り子」はあどけない小品である。無駄で重い経験をしてきた私からみれば天使のように澄んでいる。でもだからこそ永遠の青春文学となった。

彼はありのままを書いたと言っている。手を加えたとすれば省略だけだと。確かに省略によっていらないことを書かずにすんだろう。

実際の旅は重苦しいものであったはずだ。省略によって永遠を得た。嫌なことは濾過し上澄みだけが残った。

若い日の旅が懐かしいのは嫌なことを忘れて良かったことのみが残っているからである。もし嫌なことがあったとしても年を経て書くことによって浄化されている。

もっとも彼の場合はそれほど時を経ずに、つまり若い時に書かれた。よっぽど幸運な幸せな旅だったろう。彼の孤児根性さえ無くしたほどの旅だったからである。

この小品は書かれるべくして書かれた必然の文学である。彼がその後名作を世に出しノーベル文学賞を得たにしてもいつも根底にある作品である。

 

 

 

 

 

さてまたドローンに活躍してもらおう。

二人は碁を打っている。碁といっても五目並べである。ここで学生は苦心している。彼女が強かったからである。彼女は聡明だったのではないか。もしも環境に恵まれれば、そして奇跡に恵まれれば優秀な学校で勉学に励んでいたに違いない。

しかし奇跡は起きない。彼女はどうしようもない運命に縛られた旅芸人の一座の踊り子だったのである。

 

でも考えれば誰でも運命のままに生きざるを得ない。私も自らの運命を生きた。他の生き方があったかと問われても、ないとしか答えることはできない。

運命は私たちを弄ぶ。運命に逆らうなどは誰一人できはしないのだ。私たちは若いうち未来は広大に開き怖いものなど何もないと思う。だがその人なりの運命は必ず待っている。

彼にも運命があった。踊り子に出会ったのもノーベル文学賞を取ったのも最後は自死したのも逆らうことのできない運命だったのだろう。

ドローンが梅毒で余命いくばくもない女性を捉えている。彼女にも最後がこれだとは思わなかったはずだ。

 

 

 

 

 

さてドローンは宴会で踊る踊り子を捉えている。酒によって泥酔した客に見せるのはもったいないほどである。でもこれが彼女の人生である。もっともそれがどう変わるか変わらないかは誰にも言うことはできない。それが良い人生だったと祈るばかりである。

学生にとって行きずりの踊り子である。最後は別れしかない。下田へ到着した一行は活動に行くという彼と彼女のささやかな願いさえ許されず別れを迎える。彼は船に乗り彼女は港の突端で大きくハンカチを振る。彼もそれに気づき大きく手を振る。船は離れていく。

 

彼の心の中で何かが起こったのだろう。涙がとめどなく流れ甘い思いに浸る。

まさに青春文学である。役目を終えたドローンは海上に消えていく。

 

私にもドローンによって甦らせたい場面はいくつもある。ドローンは私が人生であったさまざまなことを客観的に見せる。そうすると不思議にも過去にあったことがその意味を変える。私はあれがああだったのならその後の人生がうまく行ったのにと後悔する。でもそれしかなかったのだと納得する。その結果として今の私がいる。

つまらない人生だったなと思う。だがそれは仕方がないのだ。

 

私は父の愛人の子として生まれた。父はその後認知したが私には言いようのない憎しみが残っている。それは父に対してであろうが、もっと深く運命に対して憎んでいるのだとわかる。それは私にはどうすることもできなかったのだから。

母は優しい情愛溢れる人だった。私が小学生の頃お弁当を忘れると教室の外の窓から渡してくれるような人だった。私は何不自由なく育った。父は大宮の駅前に土地を買い母をそこで働かせた。動けなくなるまで働かせた。

他の運命はあったろうか。父次第ということになるが父も戦争に行ったりして自分の運命を生きていた。だからこれはどうしようもなかったことだったのだと今の私は納得している。運命に揺られ揺らされ、そのままに生きるしかないのだ。

 

 

 

 

 

とにかく私は老齢になり死を待つだけになった。全てが終わろうとしている。幸か不幸か川端康成のように生きられなかった。たとえ最後が自死であっても多くの名作を残したではないか。そしてそれは読み継がれていくだろう。

 

私には私の人生があった。それは輝かしいものでなかったとしても受け入れる。それ以外どうしようもないではないか。

ドローンは客観的に全てを映し出した。ドローンに心があれば、そううなずくに違いない。

 

私は足が悪いが湯河原の温泉地に行ってみたい。電車と車で行くことになるだろうが、車窓のガラスに今まで小学校、中学校、高等学校、大学でそれぞれに愛した女性の姿が幻のように映るかもしれない。彼女たちはどうしているだろう。もう亡くなった人もいるかもしれない。どんな人生だったろうか。それがどうあっても幻のように美しいに違いない。

特に小学五年生から中学三年まで愛し続けた初恋の人。私に恋の甘さと苦さを教えてくれた人。彼女は元気だろうか。報われなかったけれど今でも愛しているよ。それから大学で愛した人。一言も話せなかったけれど愛しているよ。彼女をヒロインに小説まで書いてしまったね。

それは世に出ることはなかったけれど遠い思い出として残っている。あれが世に出たら小説家になっていたかもしれない。私にも幾冊化の小説が残ったはずだ。

 

ところで今は詩を書いている。時々詩誌に載ることもある。詩集を作ってみようかと考えるがある程度形にするには元手がない。これも夢に終わるんだろう。詩は不思議なほど簡単に生まれる。空中からい一つの言葉が降ってくると五分ほどでできる。小説のように体力もいらないし老人の趣味としてはいいだろう。小規模なら詩集が出せないでもない。これが最後の夢となる。

 

 

 

 

 

川端康成から始まって私も遠くに来た。「伊豆の踊り子」も一つの詩と言えないこともない。彼にとってもそれはそうだったのかもしれない。青春の詩。その後の名作群がなくとも良かったのではないか。梶井基次郎の檸檬のようにそれだけで文学史に残っただろう。その方が幸せだったかもしれない。名作群は、少なくとも抒情においては「伊豆の踊り子」に及ばない。

 

人生は本当に長いようで短い旅だ。振り返ると坂のようでもあり谷のようでもある。それはもちろん川端康成にとってもそうであったに違いない。もうすぐ死がくると思うと暗澹たる気持ちになるが、自死しようとは思わない。彼の場合は心の神経が繊弱すぎたのかもしれない。

 

 

 

 

 

それが名作を生んだのかもしれないが、今の私にとって生ほど尊いものはない。これまで何人もの作家や予備軍が命をかけて書いては散ってきたのだろうが、命をかけるほどのものか、と今では感じる。

人生は朝日に始まって夕日で終わる。私たちは精一杯生きて死んでいけばいいのではないか。自ら死を引き寄せることはないのだ。

そしてこの生が一回限りのものとは今では考えていない。私はまだその先があると考えている。人間の小さな叡智では分からないことだがなぜかそう思ってしまうのだ。

私はそういうことも含めて詩を書いている。詩があの世を映してくれる。私はまだまだ詩を書いていく。それが結実すればいいが、しなくとも満足だ。

さまざまな詩を書いている。童話のようなものから人生の闇まで書いている。私が生きている間に詩集として纏まればいいがなかなか難しい。せめて棺桶の中に一緒に入れてもらって共に燃えたらいいだろう。

「伊豆の踊り子」は世に出て名作となったが、私の方はどうでもいい。人生の旅路で「伊豆の踊り子」に出会ったことが喜ばしい。そしておそらくは作者と共に最後の場面で泣けただろうことがこの上ない幸せだ。

「伊豆の踊り子」は各国語に訳されている。「dancer」などと訳されているものもあるが、「dancer」ではない、日本語で「踊り子」と言える嬉しさは日本人にしか分からない。まさしく「伊豆の踊り子」なのだから。