どうした。
どうしてしまったのだ、ゴジラよ。
©東宝
世紀の傑作『ゴジラ』の続編である。
今作から怪獣対決シリーズが始まったターニングポイントである。
初代とまるで違うので、チビる。
カメラアングルのせいと推察されるが、ゴジラが小さい。
容姿もだいぶヒトに近づいた。
首だけが成長。
そう、ゴジラとは総称であって、個体差がある。
ということに今更に気づいて、何やら感慨深い。
日本人の特性だろうか。
すでに、国民がゴジラ慣れした様子だ。
初代の恐怖も忘れぬうちから、扱いとしては台風レベル。
「ゴジラ、進路を変えたらしい」
「ああ、よかった」
このセリフ、大丈夫か。
慣れすぎではないか。
世界は広いのに、ゴジラは日本推しなので。
帰省テンションで日本に上陸。
ゴジラを追って、新顔の怪獣アンギラスも来てしまうから新しい。
工場地帯で始まる、怪獣の死闘。
よりによって俺の工場でナゼ…と、暴れる2頭を呆然と見つめる工場社長。
もちろん、災害からの立ち直りも描かれる。
人間、ぃや、戦後の日本人の強さだろうか。
またイチからやり直しだ!と笑い合う社長ファミリーのヤル気が眩しい。
ついには、ゴジラ問題を脇に置いてしまうから凄い。
そうして描かれるのは、千秋実が演じる不器用男の物語である。
あれ?
違う映画、始まったかな?と確認したが、間違いなく『ゴジラの逆襲』であった。
逆襲とは…?
主演は民間パイロット役の小泉博。群を抜いてカッコいいので許す。
千秋実が人間味担当。
社長の娘役は若松セツ子。令嬢なので、事務員ながら本毛皮のコートである。生き物の尊厳はスルー。
後のガス人間、土屋嘉男がカッコいい。
山根博士役の志村喬は再登板。
ゴジラの中身・中島春雄の可愛らしさが増してしまったが、いいのか。
小田基義監督は、初代ゴジラを世に送った本多猪四郎監督の代打。
原作の香山滋が絞り出した「対決」という閃きは世紀のナイスアイデア。現在に至るまでシリーズが生き続けた原動力だ。
音楽は伊福部昭ではなく、わりと静かに流れている。
今作は東宝が『ゴジラ』の大成功に気を良くして、早く2作目をと焦った結果らしい。
田中友幸プロデューサーが「準備期間が短く、成功作とは言い難かった」(Wikipedia)と認めてしまう潔さである。
しかしながら、やはり円谷英二特技監督の特撮は素晴らしい!
モノクロの色味もあいまって、現実の風景かミニチュアか、判別できないシーンも多い。
大阪の街は精巧で、大阪城も麗しく。
流れ込む水、沸き上がる炎、飛行機の編隊など、迫力である。
破壊の勢いと、翌日にはもう軽口を叩き合う人間生活の落差。
非常時でも笑いを忘れない心意気。
敗戦や震災や災害からの復興を幾度となく経験してきた日本だからこそ、悲劇にも即順応だ。
次に備えようなどという気構えはゼロ。
強い。
対応策は、行き当たりばったり系。
ひらめきは大切である。
科学が犯した罪を科学で贖おうとした初代ゴジラとは、別次元。
「終」が画面に出ても、しばし信じられずにいた。
アンギラスの造形も、なかなかの亀の子タワシ感で愛着が湧く。
わりと早めにミニラへの道を歩み始めていたと知れて、ああ、よかったです。
Netflix
※当記事は個人の感想でございます。情報に誤りがございましたらご一報いただけますと幸いです。
1955年/82分/日本
監督:小田基義、特技監督:円谷英二、脚本:村田武雄・日高繁明、原作:香山滋、製作:田中友幸、キャスト出演:小泉博、若山セツ子、千秋実、志村喬、土屋嘉男
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