― そして、逝く ―
車を運転していた男性=忠雄は幸いにして数時間、点滴しただけで退院できた、しかし、待っていたのは母の死という辛い現実だ。医者は忠雄の精神への影響を考え、落ち着いて受け止められるよう、1日猶予をあげてから母の事を話そうとしたが、点滴を終えてすぐ、忠雄が母に会わせてとせがんできて断り切れなかった。母の前で泣き崩れる忠雄。医師たちはしばらくそのまま二人にさせてから手続きを行った。
末期の水、エンゼルケアを済ませ死亡診断書を書き葬儀屋に搬送の手続きをする。その日はもう遅く、翌朝一番に搬送することとなった。忠雄はそれまで一緒に居たいとのことで医者は特別に宿泊を認めた。それしかしてやれることはなかった。
エンゼルケアで看護師により綺麗に整えられた母の顔を見、忠雄は共に過ごした日々を思う。家族と一緒に過ごしたドライブにキャンプ、運動会や学芸会、参観日には毎回駆け付けてくれた。愛情かけて育ててくれた日々を想うと涙が出てくる。まだ親孝行もろくに出来ずに先立たれるなんて!次の世代を残すにはもう自分はタイムリミットだろう、時間切れ。あとは何もできずただ日々を消化する毎日にしかならなさそうなのが口惜しい。仕事で少しは社会貢献できているとは思うがそれだけ。親からの生命のバトンを次の世代に繋げない、次の世代を残せない・・・ラストエイジ(最期の世代)・・・か。考えれば考える程、情けなくなってくる。天国にいる父さん、そして母さん、ごめんなさい!そう思い、売店で購入したカップ酒をあおり、泣き崩れる忠雄だった。
次の日、早朝に予定通り搬送された。昼前にあの4人組が現れたが既に搬送された後だった。貞無は病院の窓口にて彼の住所を訪ねてみたが個人情報ですので、の一点ばりで教えてもらえなかった。知り合いだったんで訪ねたいと言ってみたが信用してもらえなかった。そもそも仲がいいなら本人から教えてもらっているだろう。住所を教えてもらっていないこと自体怪しいものだから尚更だと普通に考えればわかる。夫婦の離婚騒動とかならまだ可能性はあるがさすがに忠雄さんは独身であるから有り得ない。どうみても怪し過ぎるので受付も医師も看護師も取り合わなかった。
金づるに使えなかったか、と心の中で残念がる貞無。他の3人はどこかホッとした。金が稼げないのは残念だがない所から搾り取るのは気が引ける部分もあった。貞無の機嫌が悪いのが厄介ではあるが所在不明で諦めて頂こうと思う。とりあえず貞無の機嫌を取るか、と3人は考え、貞無に食事を御馳走することにした。
葬儀場には20分程度で到着した。喪主となる忠雄が見るからに、泣きつかれて寝てしまったような顔をしているのを見て取り葬儀屋の担当者は少し休憩時間を取ってから忠雄に葬儀の打ち合わせを始めていいか都合を聞く。忠雄からすぐにはじめていいと了解を得て打ち合わせを開始した。最初、忠雄は自分とお坊さんだけで行うと言ったが念のため母親の交友関係から話を聞いた方がいいとアドバイスを受ける。無論、最終的に決めるのは喪主本人の判断であるが知らぬ間に葬式が行われた、では母の交友関係から苦情が出る場合があるとアドバイスを受け、母の友人や比較的付き合いのあったと思われる親戚に連絡を入れることにした。意外なことに自分の事を覚えてくれている方が多く、母が亡くなった事を悲しんでくれた。葬式についても向こうの方から相談され、是非とも参列させていただきたい、手伝えることがあれば手伝わせてほしい、とのことだった。忠雄は、葬儀自体は葬儀屋さんにお任せしますので参列をお願いします。と伝え自分を、家族の事を覚えていてくれたことに感謝を伝えた。
会場や食事、設営の関係はプランを選ぶだけで済んだ。参列が予想される人数から20名程度が入れる会場の手頃なプランを選ぶ。お坊さんは父の葬儀でお世話になった方に頼むことにした。なるべく父の時と同じ内容にしたいという忠雄の考えですぐに葬儀の内容を決めていった。
お通夜当日、黒いスーツに黒いネクタイ姿の忠雄の姿が葬儀場入口に見えた。参列に来て下さった方々・・・主に母の友人たちが息子夫婦に連れられて車やタクシーで見えられる。それを挨拶で出迎える忠雄。ほとんど知らない顔の年配の方が多かったが付き添いで来ている方には同年代の方も見られる。
「忠雄ちゃん、しばらく見ない間に大きくなったねぇ」と声をかけて下さる方もいらっしゃるが長年会っていないせいか顔が思い出せない。それほど会ってなかったんだな、会ったのはまだ子供の時だったから覚えていないのも当たり前か。時の早さを感じる忠雄だった。そして大体人数が揃ったところで開始予定時刻となり定刻通り通夜が始まった。
通夜は粛々と行われた。お坊さんの読経を聴き焼香を済ませる。その間も母を思う。夫に先立たれてから母の体調も次第に悪くなっていった。今まで育ててくれたお礼に長生きできるよう尽くしてきたつもりだったがそれでも少しずつ、以前から抱えていた持病が体を蝕んでいった。母は自分に家族が出来ないことを気にしていた。一人で生き続けるのは限界がある。伴侶を早く付けてあげたかっただろうが取り立ててかっこよくもない、金があるわけでもない、ついでに奥手で人と、特に女性に話しかけるのが苦手な自分に女性が来てくれるわけがなく、今に至っても女性と付き合ったことがない、という状況に至ってしまっている。情けない話だがどうすることも出来なかった。
すまない、と誤って済むことでもないが、それしか浮かばない、そんな自分が更に嫌になる。・・・いや、こんなこと考えていたら成仏できんかもしれん。迷わず父の元へ行って欲しい。そう気持ちを切り替えお坊さんの御経をなぞるように呟く。
読経、焼香の後、お坊さんからありがたい法話、説教を聴いた。そしてお坊さんは退席される。忠雄を始め全員が会釈をする。そして喪主である忠雄が挨拶をするため立ち上がる、筈が腰が上がらない。なぜか腰が重い。しっかりしろ、私!母の死をまだ体が認めていないからだろうか、動く勇気の出ない体が忠雄を引き止める。そんなとき、中々立ち上がる事ができない忠雄の背中を隣に座っていた父の弟さん(80才)が無言で押してくれた。
「本日はお忙しい所、母、辰子の通夜にご足労いただき誠にありがとうございます。故人もさぞかし喜んでいることと存じます。親族の方におかれましてはこの後、ささやかではございますが別室にてお食事の席を用意してございます。ご都合がよろしければ是非とも故人を偲び、盃を交わして頂ければ幸いです。尚、明日の葬儀は午前8時よりこの場所で行う予定です。故人とのお別れに立ち会って頂ければ幸いです。」
忠雄はそう挨拶する。間違った事言っていないか心配ではあったが多分、間違っていない筈。緊張して頭の中が白くなりそうだ。しかし、これで終わりではない。これから帰る方を御見送りする、そして食事の席でのあいさつもある。それから・・・やることは多い。
見送りに出る忠雄。帰っていく方々は多くが母の友人や父の職場の同僚だった方等だった。彼等を握手とお辞儀、お礼の言葉で見送る。その後は食事会。
食事会では母・辰子の遺影の前で親戚達がビールを飲み寿司やオードブルをつつき昔の話に花を咲かせる。その話を聞くと忠雄が知らなかった事実も多く母の知らない一面を知ったような気がした。忠雄は皆に飲み物を注いで回り、言葉を交わした。話されることは知らないことが多かったが自分がどう思われているか、両親と親戚の関係とか知っておく手掛かりになる。他の親戚の葬儀に出る時や自分の葬儀でお世話になるかもしれない。特に自分は喪主になってくれる息子夫婦なんていないのだからそこでお世話になる可能性が高い。いや、もしかしたら役所に頼んで事務的に処理されておしまいかもしれないが。そんなことを考えながら親戚たちの話に耳を傾ける忠雄。そして夜が更けていく。
次の日、葬式~火葬~精進落としを終え自宅に帰った忠雄。喪服を脱ぎ捨てハンガーにかけてロッカーにしまう。一昨日の墓参りの前までは元気だった母があっけなく亡くなり目まぐるしく過ぎた二日間だった。それが急に静かになる。母の声は家になく、箱に入った骨が以前、父の遺骨を飾っていた仏壇にあるだけ・・・心にぽっかり穴が開くとはこのことか、と思うのがやっとだった。ほんと、一人になっちまった。とりあえず、寝よう。忠雄は仏壇のある部屋に布団を敷き、その上にシャツと下着一枚で転がる。
ダメだ、こりゃ・・・そう呟きが洩れる。もう、今はおやすみ、しよう。暑くてパジャマなんて着てられない!このまま寝ちまえ!忠雄はそう思いそのまま眠りにつく。殆ど寝ていないせいもあり、すぐに寝息を立てて眠っていた。