四時頃起き、五時頃家を出て、六時半頃戻って来るという夏使用のウォーキング(OMW)がすっかり定着している。朝五時の世界というのは、まだ人間の手で汚れていないような感じがして、鬼にはたいそう心地が好い。出来ればその様相のまま最後まで歩き切りたいところなのだけど、鬼の意に反し時間は否応なく進んでいってしまう。それが何とも残念でならない。この時季の六時はもう明る過ぎるのだ。ドラキュラじゃなくとも、遠慮したくなる。

 

歩く時間帯が変われば、新たな出逢いもあるというもの。





この写真に収められた色白の人妻(飼い猫/首輪有り)とは道でバッタリ。偶然と言う名の運命だった。とにかくおしゃべり好きなカノジョは、鬼と戯れている間、ずっとにゃーにゃーにゃーにゃー声を発していた。








ジャージが白い毛まみれになったのは、危険な情事の代償と言うことで。鬼とカノジョは、差し詰め『5時から7時の恋人カンケイ』、映画と違って朝夕逆だけど。






作品内で妖艶な人妻を演じた、ベレニス・マーロウ。あれはハマり役だったな。相手役のアントン・イェルチンに「おい、そこ鬼と代わり給え!」と何度画面越しに言葉を投げ掛けたかしれないぜ、ベイベー。

 

 

 

元舞妓は~~~~んとやらが、花街の闇を暴露して注目と同情を浴びているという話を今更ながら小耳に挟んで抱いた鬼の率直な感想。「えっ、まさかキレイな世界だと思ってたの?」

 

こういう大成しないまま(してたらソーリー)その世界を抜けた人間がする暴露にありがちなマイナス面ばかりの強調にはウンザリモンザリする。いい思いしたことだってあっただろうに(もしなかったんだとしたら、足りなかったんでしょうよ、色んな意味で)。何か駆け出しの頃に貰う給金の話(←額が少ない)もしていたらしいけど、芸事の道に進んだのであれば当然じゃない? 弟子っ子の芸人とか、皆同じ扱いだろう。初めからそれなりの額貰いたいなら、それなりに勉強して、それなりの大学出て、それなりの会社に入ったらいい。発想が向いてないのよ、そもそも。

 

伝統だの何だので表面着飾ったところで、中身は所詮男と女の欲が渦巻く世界。汚い場面にも間々出くわすだろう。足を踏み入れるつもりなら、ここで見たこと、聞いたことは一切他言無用。墓場まで持って行くくらいの覚悟がないと務まらないよ。

 

鬼は同情している人間にも言いたいのだけれど、そんなに全てが明朗であって欲しいの? それがシアワセ? イイヨノナカ? 五十年前、六十年前と比べて、今の日本人が幸福だと胸を張って言えるのであれば鬼も黙るが、どう? まあ無粋な人間には生き易い国にはなったと思うけどね。

 

 

 

日曜日、山本リンダさんが二十歳前後の女性アイドルたちと『どうにもとまらない』&『狙いうち』を披露しているLIVE配信を観た。同じ楽曲を、少し前にテレビ放送でもやっていて、その時も心湧きたつものを感じたのだけど、今回短い間隔の中で再度観ることになった(←初見の特長とも言えるインパクトや新鮮さは失われる、という意味)にもかかわらず「やっぱり凄いな」と思わず感嘆の言葉が口から漏れるほど、パフォーマンスに魅了させられてしまった。

 

だってね、この二曲って、歌い手の年輪が増すにつれ味わいが出てくる類のものでは決してないじゃない。“若さ”が多分に含有している熱量や力強さが必須だから。でも、自分より半世紀も若い子たちと同じ舞台に立って、その辺り負けてないどころか圧倒しちゃっているのよ、リンダさんは。そう、リンダ全然困ってない。エネルギーの塊みたいな、その場にいる者全てを巻き込んで高揚させてしまう。「アクション歌謡」とはよく言ったもので、まさに観て楽しむ音楽の先駆けだなと。

 

そういった意味では、後発のピンクレディー然り、観て楽しむが重視される今どきのアイドルがコピーするのに適しているのかもね。