鬼の知る限り、そのときどきの気分によって訪れる美容室を変える人は少ない。大抵は”ココ”という店に長年、一途に通い続ける。勿論、誰が切るのか、担当する美容師も決まっている。なぜ浮気心を擽られないのか。それは、新たに関係性を築くのが面倒だからということもあるだろうし、一応向こう一ヶ月くらいは取り返しのつかなくなる髪型を毎回違う美容師(技量の程度も承知していない)に任せるのではリスクが高過ぎるということもあるだろう。いずれにせよ、余程のことがない限り変えない。変えるときは清水の舞台から飛び降りるかの如く一大決心を持って臨む……と言っても過言ではない。

かく言う鬼も、生まれてからこの方降臨したことのある店(理容室を含む)は、全部でたったの五軒。その内四軒は、市区町村を跨ぐ引越しを理由に致し方なく変えざるを得なかった。初めて髪を切ってから十八歳になるまで世話になった理容室、大学生活四年間の髪型を丸ごと預けたお江戸の美容室、そして今の店も降臨し始めて十年にはなる。

その店の、鬼を担当しているスタッフ(鬼が書き垂れたものの中にも何度か登場している、通称『切りたがり屋』)が、年内一杯で別の店舗に異動することになった。飲食業界ほどではないにしろ、美容業界も人の出入りが激しい。新しい人間が入っては辞め、入っては辞めを繰り返す。同店の顔触れも、この十年でガラリと変わった。そんな中、切りたがり屋は生え抜きの十五年選手。このまま骨を埋めるくらいの気でいただろう。それが今回「異動」という何とも珍しいかたちで店を去る、命令が下ったのは十二月に入ってかららしい。鬼はたまたまタイミングよく降臨したため事情を知る機会を得たが、彼女が担当する客の中には、次訪れたときに唐突に不在を聞かされる者も大勢いるだろう。今の店と異動先の店との間には、車で40分ほどの距離がある。少なくとも、徒歩で通っていた老齢の客とは、最後の挨拶も交わさぬまま今生の別れとなってしまったわけだ。

行きつけの花屋のスタッフ(アケミとタエコ)が二人揃って異動になったのが二年前、そして今回は切りたがり屋。鬼と縁のある人たちは、どうもみんな遠ざかっていく。しかも、同じような方面、同じような距離に。花屋にしろ美容室にしろ、頻繁に用があるところではないから、ドライブ気分に任せて結局降臨することになるのだけど、その日の思い付きで寄れていた場所が近くになくなるというのはやはり寂しいものである。