ちょいと大掛かり寄りの片付けをしていたら、埃を被った、見るからに古ぼけた一冊の書が出てきた。




表紙に「清香」と読める字の記されたこの書。ページを捲っていくとどうやら学校の、いわゆる卒業アルバムらしきものではあるのだけれど、はっきりそれだと断定するには少々趣が違っている。各クラス毎の写真があるわけではないし、巻末に掲載されている卒業生名簿の年次が大正八年度から昭和十六年度と幅広いのだ。

そもそも誰のものだろう?勿論鬼の身内に違いないのだろうけど……と考えを巡らせながら名簿を目で追っていたら、昭和十六年度卒業生の最後の最後に知っている名前を見つけた。それは鬼婆の旧姓だった。

この書は『幸祝女塾』という花嫁学校が、創立二十五周年を機に刊行した卒業生向けの記念アルバムだった。刊行年は昭和十八年、鬼婆が二十歳の頃だ。

鬼婆が小倉の女学校卒業後に、わざわざ福岡の花嫁学校に親戚の家から通っていたことは話に聞いていたが、アルバムの存在までは知らなかった。鬼婆の子供時代からの写真帳やそれこそ女学校時代の卒業アルバムも鬼の手元にあるので、たとえそこに若かりし頃の鬼婆の姿を認めたとしても物珍しくは感じないのだけれど、まさかのまさか十八歳かそこらの鬼婆の詠んだ和歌が載っていたのにはさすがに驚きと感動を覚えた。折しも時世は日本が米国との戦争に突入した頃である。

今や「花嫁学校」という言葉自体死語になりつつある。当時だって誰でもが通えるわけではない。″御嬢″として蝶よ花よと育てられた鬼婆の人生の一端が垣間見られた、そんなアルバムとの出会いになった。




写真は琴を弾く鬼婆の少女期。向かって右に写る尺八吹きは鬼曾祖父である。