ここに 24年前の写真があります
わたしの両親です(^-^)
そういっても 母はこの写真より半年前に
ガンになり 大手術 抗がん剤治療 コバルト治療を受けていました
両親は 年は違いますが なんと同じ誕生日で
母の病後 ふたり揃っての誕生日の写真です

この写真から約4年後
母は他界しました
それから 毎年ひとりで迎える 誕生日
父は どんな気持ちだったのでしょうね
毎年 誕生日(1月5日)には 父と谷汲山にお詣りし 父の好きな味噌煮込みうどんを食べたものです
母がなくなって 10年後
父もまた 大腸がん そして肺がんを患っていました
抗がん剤治療を毎月日帰りで受けていました
年齢もあり ガンの進行も早くありません
でも 数年前の脳梗塞の後遺症で
右側半分に麻痺もあり 出来るだけ運転は
私がしていました
年も明け 父の自動車免許更新の日
運転と付き添いをする私は 不覚にも風邪をひいていました
父にうつさないよう マスクをしての付き添いでした
1週間後 父の抗がん剤治療の日
風邪をひいてないか心配していました
ドクターと父が相談したのでしょうが
抗がん剤治療にはゴーサインが出たようでした
治療後 体力も抵抗力も落ちるのは2日目以降
3日目病院から電話があり 父が入院することに!
ドクターの説明によると 一時的なもので入院期間は1週間ということでした
ホッと安心しました
1週間後は 息子の高校受験の日でした
私は午前中は仕事 午後は病院へ通いました
入院5日目 父は順調に回復しているように思ってました
私「大分 調子いいよね お父さん明日はね やっちゃん(息子)の受験の日なんだよ
彦根までついて行くから夜に来るからね」
父『そうか 受験の日か 頑張ってって伝えてくれよ・・・そうか・・・寂しいなぁ』
私「大丈夫だよ 私の代わりにおばさん(父の妹)来てくれるって」
父『もう 帰るのか?もう少しいてほしな』
私「明日は夜にはやっちゃん連れて来るからね 週明けには退院でしょ?またね 明日の夜ね」
いつもより 後ろ髪ひかれる思いで病院をでました
夕飯と明日の息子のお弁当の買い物をしていると 携帯電話がなります
病院からです
〔お父様 急変されて 今晩が峠です 直ぐに病院へ来てください!〕
耳を疑いました
動揺する気持ちを抑え 落ち着いて 落ち着いて・・・自宅に戻り息子に明日一緒に行けないことを説明(父の病状は伏せてました)
今晩は早く寝て 明日は頑張ってねと伝えて自宅を出ました
雪がちらつき出した中 病院へ車を走らせる私は「お父さん!お父さん! いやぁ~ お父さん」涙で前が見えません
病室の前に兄がいて 泣くな!と叱られました
涙をふいて 笑って病室へ
「お父さん どうしたの?えらいの(苦しいの)?」
『まっとったよ なんかなぁ さみしいの』
涙ぐむ父 肩で息をしています
酸素の数値が下がっていました
「仕方ないなぁ 今晩はお父さん寂しがるから 泊まってあげるよ」
『・・・うんうん・・・わるいなぁ』
近しい人を呼び 最後の夜です
苦しいのでしょう 汗をかく父
温かいぬれタオルで何度も汗を拭きました
のども渇くのでしょう
誤嚥しないよう 唇だけぬらします
昔ばなしをし 思いだし笑いをする父
苦しいのに 笑う父
うっすらと明るくなります
『朝日がみたいなぁ』
もぅ声もでないくらいなのに・・・
「うんうん・・・お父さん朝日見ようね」
ベッドを少し起こし 父に寄り添いふたりで見た朝日
遠い 遠い 懐かしい記憶
「お父さん おかえりなさい 抱っこ抱っこ!」
『よーし タカイタカイだぞ!!』
「お父さん 腕枕して!お話して」
『何のお話にする?』
「お父さん 早く帰ってきてね」
『仕事なの 仕事大事でしょ』
お父さん 私のお父さん
働き者で 力持ちで 面白くて おしゃれさん
大好きだったよ
午前10時15分永眠しました
私が風邪をうつしたのが原因だったのかもしれません
お父さん ごめんなさい
お父さん
今日は 父の日
ありがとう お父さん
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