私は人は真に人を救うことはできないと考えています。

 

どういうことかと言うと、所詮人間は一人ぼっちな生き物。

人類の進化の過程でいくら考える脳を活性化させようが、文明を発展させようが、組織を確立しようが・・・結局個人は個人。

 

1人1人の中に眠る意志はいつの時代も変わらない、『己の欲のみ』

自分の幸せしか考えない。

それは紆余曲折を経ていつの間にか他人の幸せにつながり、それが協調性という不確かな形になり変わっているだけ。

 

自分はこうしたい、相手はこうしたい。その連鎖が上手くかみ合った時人は『分かり合えた』と感じるだけ。

 

 

だって貴方は、無償の愛で人を生かそうと考え行動しますか?

それはその人のためにならないだの、非効率だの、怠惰だの言い訳なしに救済できますか?

真の意味の救いというのはそういうことを指すのです。

 

誰でも彼でも無償の愛で生かせろというわけではありません。

要するに、死しか頭にない人を本当に救うことができるのは『無償の愛』

無条件に全てを受け入れる心そのものだと言っているのです。

それが貴方には可能なのですか?と、そう言いたい。

 

人は生き物である以上食生活は欠かせません。

また、生き物である以上休息も必要でしょう。

環境次第では死に至るのでそこの管理調節も大切です。

 

これらすべてを無償でしてあげる人はこの世には存在しないと私は考えている、そういう話です。

 

勿論、いつか来るであろう社会復帰を夢見て支援をするというのとはまた別の話ですよ?

社会復帰が到底見込めない人を、ただ息するだけの人を、貴方は救いますか?

 

 

 

誰に救われることもないであろう、無価値の孤独に隠れ潜む思考はこうした思想を生み出し新たな『自殺願望』が生まれたのだと私は結論付けました。

 

無価値の孤独。

それは、あらゆる破滅への興味関心。

究極のドMの精神。

”犯罪行為後に待ち受けるであろう破滅の運命における精神的被虐体験”と”ありとあらゆる自殺の追体験願望における肉体的被虐体験”、”あらゆる他者からの加虐における肉体的被虐体験”

 

これらを求める心は、生きる価値のない勝手に孤独になっている残念な人間です。

何しろ、全ては未だ妄言でしかないのだから・・・

 

そんな人を救おうと、無償で救おうと、生かそうと考える酔狂な人間は居やしない。

私はそんな悲観的思考の末路にある『自殺願望者』です。