運命の3月11日以降、

恐怖と不安の中で息を

潜めているしか無い状態でした


僕自身、地震発生時には

死者が出た九段会館の近くに居ました


ビルから降ってくるガラスは

どうなるだろうか、

車道側に歩いて、スリップした

車が突っ込んでこないだろうか・・・・

そんな事を考えながら避難していました


ちなみに、その日は

なんで、そんな所に

いたかというと、

千代田区が行っている

起業支援について取材に

いくためでした


多分、震災がなければ、

「起業促進号」

といった感じのチラシを

作っていただろうと思います


当日は、地震の前から

九段や神保町周辺を

あっちこっち行っており、

「今日は、たくさん歩いたな」

という午前中でした


しかし、電車は止まり、

目黒への帰路は歩きで

という事になりました


帰宅難民に

僕もなってしまったわけです


親族や友人達と連絡する中で、

「地震は大丈夫そう 

  あとは、原発が大丈夫だといいが・・・」

そんな、話ばかりが

話されていた


原発に関する不穏な

報道がはじまった


そして、14日の水素爆発・・・・



このあたりは、

たくさん、たくさん書いてきた



3月10日より前の日日が、

いかに、大切なものだったか

今であれば思う


唯一の福音が

こういう状況で、

「鉄壁の仲間」が増えたことだ


政治だけでなく、

今まで、真剣な話を

しなかった知り合いとも

真剣な話をしている


その中で、情報を共有し、

助け合おうという流れができてきた


僕が力になることもあるし、

助けてもらうこともあるし、

情報をもちよって共に分析する事もある


大事なのは、人と人とのつながりだ


これが最強

この絆をどうやって

強く太く多くするかが

とても重要だ