第九章 残念ながら今日はお預けだ、また今度抱いてやる

 

「それに意外と最上さんとの生活は楽しいし」

 

「意外とだと、最高にって思わせてやるよ、それにお前とは離婚はしねえ、生涯こき使ってやるから覚悟しろ」

 

「はい、それから……」

 

「なんだ」

 

「さっきの本当に嫌だったわけじゃなくて、なんか最上さんがいつもと違って怖かっただけですから……」

 

梨花は頬を真っ赤にして恥ずかしがっていた。

 

「ほお、それは俺に続きをねだっているって言うことか」

 

「もう、知りません」

 

梨花は俺に背を向けた。

 

俺は背中から梨花を抱きしめた。

 

そして、耳元で囁いた。

 

「残念ながら今日はお預けだ、また今度抱いてやる」

 

「どうしてですか」

 

「その気が失せた」

 

梨花は頬を膨らませて俺を見た。

 

「キスして欲しいのか」

 

「はい」

 

素直な梨花に心臓を射抜かれた。俺は梨花にチュッとキスをした。

 

これ以上梨花と身体を重ねていると、俺の理性がもたない。

 

そんな矢先俺の梨花に対する気持ちがはっきり分かった出来事が起きた。

 

三葉ホテル御曹司が梨花を諦めていなかった。

 

俺の勤務を調べ、わざわざ夜勤の日を狙って、梨花を訪ねてきた。

 

私は今日は最上さんが夜勤と言うことで寂しかった。

 

それに夜一人で心細かった。

 

そんな時、インターホンが鳴った。

 

「純一さん」

 

「梨花さん、開けてくれる?」

 

「どうしたんですか」

 

私は最上さんが夜勤で留守だったので、すぐには開けなかった。

 

「ごめん、ちょっと熱があって、ちょうど解熱剤切らしてて、ドラッグストア行ったんだけどこんな時間だから閉まってて、悪いんだけど解熱剤貰えないかな」

 

「すぐ開けます」

私はすぐにオートロックを解錠して純一さんを招き入れた。

 

「ごめんね、助かるよ」

 

「ちょっと待ってくださいね、今薬出しますから」

 

「うん、ありがとう」

 

そして純一さんは薬をのんだ。

 

「もう一つ頼みたいことがあって、何にも食べていないんだ、これからうちに帰っても一人じゃ作る気しないし、コンビニだと、食欲わかないし、何か作ってもらいたいんだけど」

 

「大丈夫ですよ、お粥作りましょうか」

 

「最高、頼むよ」

 

「ご馳走になったらすぐに帰るから」

 

私はお粥を作りはじめた。

 

リビングで純一さんがお粥を食べていると、ガチャっとドアが開いて、最上さんが帰ってきた。

 

「最上さん、今日は夜勤だったんじゃないですか」

 

「どう言うことだ、俺の留守になんでやつを入れた」

 

「純一さん、熱があって、解熱剤を買いに行ったんですがドラッグストアが閉まってて、

それで解熱剤をあげたんです」

 

「仲良くお粥食べてるってことか」

 

「すみません、留守中に上がり込んで、梨花さんの優しさに甘えさせてもらったんです」

 

「俺が帰ってこなかったら、これからよろしくやるところだったんじゃないか」

 

最上さん、怒ってる、そういえばこの間もこんな感じだったよね。

 

ヤキモチ妬いてるの?まさかね。

 

「出て行ってくれるか、具合が悪いんなら夜間救急外来でも行ってくれ」

 

「分かりました、留守中に上がり込んでしまい、申し訳ありませんでした」

 

純一さんは最上さんに頭を下げて、その場を後にした。

 

最上さんは私を睨んで意地悪な一言を投げかけた。

 

「追いかけなくていいのか」

 

最上さんは寝室のドアをバタンと力強く閉めた。

 

もう、確かに最上さんの留守中に純一さんを部屋に入れたのは私が悪い。

 

でも熱があったんだし、放っておけないじゃない。

 

それをいきなり怒鳴って、最上さんはよくわからない。

 

私は最上さんの寝室のドアの前で叫んだ。

 

「最上さん、純一さんの後を追いかけてもいいんですか」

 

本気じゃなかった、ただ最上さんの気持ちを確かめたかっただけなのに……

 

言ってはいけないことを言ってしまった。

 

ドアを開けて「行くんじゃない、俺の側にいろ」って言って欲しかった。

 

だけど、最上さんが私に向けた言葉は「追いかけたいなら勝手にしろ」と言う言葉だった。

 

最上さんは部屋から出てこない。

私は最上さんの以前に言われた言葉を思い出した。

 

(俺は去るものは追わない)

 

最上さんから「行くな」と言って追いかけてきてくれることはないんだったと、自分の発言を後悔した。

 

「もう、最上さん知らない」

 

自分が悪いのに、なんか涙が止まらない、私は契約上の妻なんだと改めて思い知らされた。

 

わかってたのに、それでもいいと思ってたのに、涙がとめどもなく溢れて何も見えない。

 

私は何も考えられずにふらふらっとマンションを出た。

 

俺はリビングから梨花の気配が消えたのに気づいたのは、しばらく経ってからのことだった。

 

いつまでへそ曲げてるんだ。

 

俺は梨花をなだめようと部屋から出てきた。

 

「梨花、梨花」

 

リビングにもキッチンにも梨花の部屋にも姿が見えなかった。

 

梨花、マジでやつを追いかけたのか、リビングのテーブルの上にスマホと財布があった。

 

俺は慌ててマンションを飛び出した。

 

「梨花、梨花」

 

俺のただならぬ態度に慌てた様子でコンシェルジュ佐々木が声をかけてきた。

 

「最上様、そんなに慌ててどうなさったのですか」

 

「梨花はどのくらい前にここを通ったんだ」

 

「梨花様でしたら、三十分前くらいにお出かけになりました」

 

「どこに行くとか言っていなかったか」

 

「お出かけですかとお声をかけさせて頂いたのですが「はい」とお返事しただけで、それ以上は分かりません」

 

「そうか」

 

「梨花様がどうかなさいましたか」

 

「ちょっと言い争いになって、姿が見えないんだ」

 

「それはご心配ですね」

 

「俺は辺りを探してくる、もし梨花が戻ったら俺のスマホに連絡くれ」

 

「かしこまりました」

 

梨花、まさか、本当にやつを追いかけたのか。

 

それならそれでいいじゃないか、俺はなんでこんなにも慌てているんだ。

 

去るものは追わずが俺のスタンスだ。

 

それなのに梨花を探して、連れ戻そうとしているのか。

 

ありえないと思いながら、俺は必死に梨花を探していた。

 

駅まで行ってみたが見当たらない、梨花はスマホと財布を置きっぱなしだったため、

 

そう遠くへは行っていないはずだ。

 

スマホを置いてあるんだから、やつとは連絡出来ないよな。

俺は徐々に冷静になってきた。

俺としたことがありえない慌てようだと自分の行動がおかしくなって笑いが込み上げてきた。

 

梨花のお気に入りの場所があったな。

 

俺はその場所に行ってみた。

 

マンションの裏にある公園だ。

 

梨花はブランコでぽつんと座っていた。

 

「梨花」

 

梨花は俺を確認すると勢いよく走り出した。

 

俺は溢れる思いが込み上げて、梨花を抱きしめた。

 

梨花も俺の背中に手を回して俺の胸に顔を埋めて泣いていた。

 

「最上さんのバカ、なんでもっと早く探しにきてくれなかったの」

 

「お前が勝手に出て行ったんだろう、俺は去るものは追わずって言っておいたはずだがな」

 

「でも、私を探してくれたんですよね」

 

「しょうがねえよ、惚れたんだからな、梨花に」

 

「本当?もう一回言ってください」

 

「残念でした、もう言わねえ、聞き逃したのならお前が悪い」

 

「聞き逃してないけど……」

 

梨花は俺にもたれかかり動かなくなった。

 

「おい、梨花、しっかりしろ」

 

俺は脈を測り、救急車を呼んだ。

 

梨花は意識を失った。