ラヴ KISS MY 書籍
第九章 離婚してください
「なんだ、その条件とは……」
「俺との離婚だ」
「えっ?」
「子宮全摘出の手術の後、大変な苦痛を味わったとのことだ」
「そうだったのか」
「俺に迷惑をかけたくないから離婚を申し出てきた」
「それなら別れてやれ」
「馬鹿言うな、お前の時みたいにちづるは姿をくらますぞ」
充は考え込んでいたように黙っていたがしばらくして口をひらいた。
「近々日本へ行く、ちづるの入院している病院をスマホに送ってくれ」
「わかった」
そしてスマホを切った。
今、充とちづるを会わせる事が得策とは思えないが、充の気持ちを考えると会わせることを拒否は出来なかった。
俺の中で不安な気持ちが大きくなった理由は、ちづるは俺との離婚を望んでいる。
俺を嫌いになったのではない、俺に迷惑をかけられないとの理由から離婚をのぞんでいるに違いない。
充を利用して、俺の前から姿を消そうと思っていたら、そう思うと、居ても立っても居られない気持ちが大きくなった。
毎日ちづるの病室へ足を運んだ。
「ちづる、手術は受けた方がいいと、先生が言っていたぞ」
「ですから、私と離婚してください、そうしたら手術を受けます」
「じゃあ、こうしよう、ちづるが手術を受けたら離婚するよ」
「本当ですか?」
「ああ、約束する」
「それなら手術を受けます」
「俺からも条件がある」
「なんですか」
ちづるは何を言われるのかとドキドキしていた。
「手術後、離婚が成立しても、俺の前から姿を消さないと約束してくれ」
ちづるはどう言う事かと首を傾げていた。
「連絡先は変えない、引越し先は俺のマンションの近くにする事、俺からの連絡には必ず返信する事、いいか」
ちづるは少し考えてから頷いた。
「よし、決まりな」
私は不安の波に押し流されそうになっていた。
何故、またこんな目に遭うなんて。
海堂さんは手術の前、全て準備万端、整えてくれた。
海堂さんのマンションの近くに引っ越しを済ませ、離婚届けも用意してくれた。
「ちづる、これにサインしておけ、手術が終わったら提出しておく」
「はい」
私は海堂さんが既にサイン済みの離婚届けにサインした。
これでいいんだ、誰にも迷惑をかけないように生きて行かないと……
「スマホはこれをつかえ、まだ俺の名前で契約してあるが、離婚届け提出したら名義変更すればいい」
「わかりました」
なんか、海堂さん、淡々と事を済ませるんだと、ちょっと寂しい気持ちになった。
そんな矢先、充が病院へやって来た。
「ちづる、大丈夫か」
「充、大丈夫よ」
「八年前、なんで言ってくれなかったんだ、黙って姿をくらますなんて」
充は動揺を隠せない様子だった。
私が不安なのに、もし、私が命に関わる病気だったら、充は私の前で平常心を装う事は出来ないだろう。
海堂さんなら、見事に平常心を装う事が出来るだろう。
もしかして、私、命に関わる病気なの?
腫瘍は悪性で、既に手遅れって事?
急に心配になって来た、だって離婚もなんの問題もなく受けてくれたし、もう私見捨てられたの?
そこへ海堂さんがやって来た。
「おお、充、早かったな」
「全く、お前はよく平気でいられるな」
「なんだよ、命に関わる病気じゃあるまいし、お前が大袈裟すぎるんだよ」
「ちづるを心配じゃないのか」
「俺達、離婚する事になった、な、ちづる」
「あ、はい」
「本当か」
充はびっくりした表情を見せた。
「でも、いくら離婚するからって、おまえの態度は冷たいぞ」
「そうか?」
「ちづる、改めてプロポーズしたい、俺と結婚してくれ」
「充、ちづるはまだ俺の妻だ、状況を弁えろ」
俺はちづるが動揺している様子を感じ取り、充に席を外して貰うように促した。
「充、ちづるに話があるから先に帰ってくれるか、また連絡する」
「わかった、ちづる、プロポーズのこと考えて置いてくれ」
ちづるは充の話は上の空で聞いていない様子だった。
充が病室を出た後、ちづるは俺をじっと見つめて口を開いた。
「海堂さん、私、後、どの位生きられますか」
「手術を受けて、俺の側にいれば婆さんになるまで生きられるぞ」
「海堂さんの側に?」
「手術が成功しても、その後のケアが病気の回復に大きく影響する、術後、一人か、充の側か、俺の側か、お前が一番わかっているだろう」
「私はこの先も生きられるんですか?」
「その為に、手術を受けるんだろう」
ちづるはほっとした安心の表情を見せた。
「しばらく、仕事が忙しいから来れないが、我慢しろ」
「あ、はい」
俺はしばらく、ちづるとの距離を置いた。
ちづるに俺がいないと、生きていけないと思わせたい。
そんな矢先、思っても見ない出来事が起きた。
ちづるの病院へ行かなくなって一週間が経ったある夜、俺のスマホが鳴った。
着信の相手はちづるだった。
「ちづる?どうかしたのか、具合悪くなったならナースコールしろ」
「そうじゃなくて」
「それならどうしたんだ、こんな遅くに……」
私はこれまでの海堂さんの態度で、私に対しての愛が無くなっていくように感じた。
これでいいんだ、これで。
でも、自分から離婚を申し出たにも関わらず、私は海堂さんの態度に寂しさを感じずにはいられなかった。
急に声が聞きたくなって、スマホに電話をしてしまった。
「あのう、あっ、怖い夢見ちゃって、眠れなくなったんです」
「そうか、じゃあ、少し話するか?」
「いいんですか」
私は嬉しくて思わず声のトーンが上がった。
「変な奴だな、そんなに嬉しいのか、俺と話す事が」
「はい、あっ、いえあのう」
「嬉しいなら嬉しいっていえ、素直になれ」
「嬉しいです」
「ちづるは可愛いな」
それからたわいもない話を永遠と続けた。
「大変です」
私は窓から外を見て白々と夜が開けてくるのを目の当たりにした。
「どうしたんだ、大きな声をあげて」
「朝になっちゃいました」
どうしよう。
俺は部屋のカーテンを開けて外を見た。
「ほんとだ、朝だ」
「ごめんなさい、海堂さん、お仕事なのにおしゃべりに付き合わせてしまって」
「大丈夫だ、俺を誰だと思ってるんだ」
「えっ?どう言う意味ですか」
「ちづるより若いってことだ」
「あっ、ひどい、私だって大丈夫ですよ、海堂さんとそんなに違いませんから」
「あれ?そうだっけ?」
海堂さんと一緒だと自分が病気だと言う事を忘れちゃう。
毎日、笑って過ごせるとしみじみ感じた。
海堂さんが言っていた意味がようやくわかった気がした。
私は手術を受けて、順調に回復した。
退院の日、久しぶりに海堂さんが現れた。
不安で、一人で寂しくて、悲しくて、このまま海堂さんに会えないのって思ったら、溢れる想いがどうにかなりそうだった。
「ちづる、よかったな」
私は人目も憚らず、海堂さんに抱きついた。
「ちづる?」
「あっ、ごめんなさい」
「そうだ、安心しろ、約束通り離婚届は提出したぞ」
「えっ」
「もう、俺達は夫婦じゃない、お前は間宮ちづるだ」
目の前が真っ暗になった、そうだ、私、もう海堂ちづるじゃないんだ。
夢かも、もしかしたら離婚届は受理させていないとか、海堂さんが間違えて提出忘れたとか……
そんなことはあるはずもなく、目の前に手渡された診察券の名前は間違いなく、間宮ちづるだった。
「診察券はこれを使え」
ちづるの診察券を受け取る手が震えていた。
俺はちづるを抱きしめたい衝動に駆られた。
手術の日も、俺は病室に顔を出さなかった。
仕事も手につかず、ずっとスマホを握りしめていた。
そして、ちづるの手術が無事に終わったと連絡を受けた時は飛び上がるほど嬉しかった。
どうしても仕事で日本に来ることが出来なかった充に連絡を入れた。
「充、ちづるの手術は成功したぞ」
「そうか、よかった」
充は電話口で泣いていた。
「今の仕事が片付いたらちづるを迎えに行く、それまでちづるをよろしく頼む」
そう言って充はスマホを切った。
ちづるを迎えに行くと言う言葉が、俺の胸の奥に突き刺さった。
もう、ちづるは俺の妻ではない。
退院して、ちづるを引っ越し先に案内した。
「えっ、あのう、ここは海堂さんのマンションですよね」
「ちづるの新居は俺の部屋の隣だ」
「えっ?」