【にわか独りよがり考古学】の続きです。
 

http://hist-geo.jp/img/archive/016_047.pdf

上野国府とその付近の東山道,および群馬,佐位駅家について
です。地理学者の金坂清則氏の論文
 
特に目を引いたのは、
16/34の第 4図 古代上野匿の国府・郡家・駅家・式内社・寺院の立地と東山道です。
私の持論では、古東山道は、鳥峠ルートです。後に碓氷峠ルートが開拓されたと思います。
その根拠の一つに保渡田古墳群の位置を上げています。
を参照願います。
 
また、古東山道は、古利根川と交差します。この位置に前橋市の朝倉・広瀬古墳群が存在します。
古利根川(水上交通)と古東山道(陸路)が交差するHUBであったと思います。そこには、貿易商が居て経済的に裕福であり、古墳を長年に渡って築造できたハズです。
また前橋台地は、古くから農業用に開拓が進んでいたのでしょう。
http://hist-geo.jp/img/archive/016_047.pdf の10/34を参照願います。
図1 群馬郡とその周辺の条里(三友国五郎原図注36)
 
その地に住んだ豪族(上毛野国造)は、その結果当時の農業と商業に拠る莫大な経済力を誇っていたと思います。
それが群馬県全県に渡る古墳の数として現れている。
チョキ
 
榛名山二ッ岳の噴火が及ぼした当時への影響についてちょっと妄想してみます。(To be continued)
・5世紀に活動を再開し、マグマ水蒸気噴火を起こす。(二ッ岳有馬火山灰噴火)
・489年 二ッ岳渋川噴火で大規模なマグマ水蒸気噴火と泥流。マグマ噴出量は0.32 DREkm3。火山爆発指数:VEI4
・525年から550年 大規模マグマ噴火、マグマ水蒸気噴火、マグマ噴火泥流。マグマ噴出量は0.74 DREkm3。火山爆発指数:VEI4
Wikiより