先週末、等々力渓谷に紅葉狩りに行ってきました。
東急大井町線の等々力駅で下車して、多摩川側に歩いて路地を入ると渓谷の入り口は、あります。
渓谷の入り口辺りは、常緑樹が多くて紅葉が分かりません。渓谷を下流(多摩川)に向かうに従って楓や欅の木が多くなります。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190608/07/kissam59/81/d7/j/o1024057614449387709.jpg?caw=800)
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190608/07/kissam59/36/af/j/o1024057614449387726.jpg?caw=800)
途中渓谷から上に上がって、野毛古墳群の中では最大の野毛大塚古墳(築造は、五世紀初頭とのこと)を見物してきました。
田園調布古墳群と野毛古墳群の総称として、荏原台古墳群(えばらだいこふんぐん)と呼ばれるそうです。
意外や全て竪穴式の埋葬施設が頂上部にあったそうです。被葬者は、築造後何代かに渡って埋葬されたのですね。
この古墳の形式は、学術的には帆立貝式と呼ばれるそうです。前方後円墳にしては、その前方部が狭いのですね。
また4基の埋葬施設がある中で、うち1つの施設(古墳の築造時?)の出土品には”鏡”が含まれていない様です。
ここからは、私の持論を展開します。3種の神器(鏡・玉・剣)に注目しました。すなわち、当時鏡は、入手が容易でなかった被葬者が埋葬される時に、古墳の形を鏡に見立てたのではないでしょうか。帆立貝式の古墳は、鏡とその台(前方部)を模したのではないでしょうか?
群馬県には、鏡手塚古墳という前方後円墳があります。 前方後円墳の起源は、そこにあるのでは?
奈良県の”はしはか”古墳は前期の前方後円墳であり、その前方部は婉曲しています。神社の祭壇奥にある鏡台に見えませんか?
![下差し](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/526.png)
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190608/07/kissam59/98/50/j/o1024057614449387739.jpg?caw=800)
渓谷の終わり部分にある日本庭園の紅葉です。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190608/07/kissam59/9f/5e/j/o1024057614449387766.jpg?caw=800)
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190608/07/kissam59/27/f1/j/o1024057614449387778.jpg?caw=800)
![チョキ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/117.png)