先週末、等々力渓谷に紅葉狩りに行ってきました。

東急大井町線の等々力駅で下車して、多摩川側に歩いて路地を入ると渓谷の入り口は、あります。
渓谷の入り口辺りは、常緑樹が多くて紅葉が分かりません。渓谷を下流(多摩川)に向かうに従って楓や欅の木が多くなります。
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途中渓谷から上に上がって、野毛古墳群の中では最大の野毛大塚古墳(築造は、五世紀初頭とのこと)を見物してきました。
田園調布古墳群と野毛古墳群の総称として、荏原台古墳群(えばらだいこふんぐん)と呼ばれるそうです。
 
意外や全て竪穴式の埋葬施設が頂上部にあったそうです。被葬者は、築造後何代かに渡って埋葬されたのですね。
この古墳の形式は、学術的には帆立貝式と呼ばれるそうです。前方後円墳にしては、その前方部が狭いのですね。
また4基の埋葬施設がある中で、うち1つの施設(古墳の築造時?)の出土品には”鏡”が含まれていない様です。
 
ここからは、私の持論を展開します。3種の神器(鏡・玉・剣)に注目しました。すなわち、当時鏡は、入手が容易でなかった被葬者が埋葬される時に、古墳の形を鏡に見立てたのではないでしょうか。帆立貝式の古墳は、鏡とその台(前方部)を模したのではないでしょうか?
群馬県には、鏡手塚古墳という前方後円墳があります。 前方後円墳の起源は、そこにあるのでは?
奈良県の”はしはか”古墳は前期の前方後円墳であり、その前方部は婉曲しています。神社の祭壇奥にある鏡台に見えませんか?
 
下差しから見た反対側は、三段築造のハズの墳丘が崩れています。これは、横穴室石室を前提にした盗掘口を埋め戻した後なのかな?とも思われます。
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渓谷の終わり部分にある日本庭園の紅葉です。
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昼食は、西麻布しゅういち 等々力店でカレー味の油そばです。当然麦酒付です。
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チョキ