1990年代後半、大学1年生だった私は、学費を稼ぐためにとあるファミレスでバイトとして働き始めました。数ヶ月洗い場を担当した後、社員から「ホールかキッチンのどちらかをやって欲しい」と言われ、当時人見知りだった自分は、キッチンを選択しました。

 

 

 当時、キッチンには社員も逆らえないパートのおばちゃんがいました。ピーク中にオーダーを間違えようものなら「テメェ何やってんだよ!!」という怒号とともに容赦なく蹴りが飛んできます。「世間の非常識がウチの常識なんだよ!!」とよく言っていました。

 

 また、当時学生だったので夜勤(22時~翌7時)は無理ですと店長には伝えていたのですが、シフト表を見ると普通に夜勤で組まれていました。

 

 私は親の教育が比較的厳しく、子供の頃から「先生や上司など、目上の人の言うことには絶対服従」と叩き込まれていたので、大人しく従っていました。フラフラになりながら大学に通っていました。

 

 夜勤のキッチンは基本一人です。調理手順のマニュアルを熟知していないと、誰も助けてはくれません。

 

 私は誰に言われるでもなく、百数十ページにおよぶ調理マニュアルをすべて自分のノートに書き写しました。そして、大学に行く電車の中でも、食事中でも、トイレでも、お風呂でも読み込んで、すべて暗記しました。大学受験のときよりも勉強したかもしれません。受験勉強なら自分の不勉強は不合格という形で自分に返ってくるだけですが、仕事に関しては自分の不勉強はお客様の迷惑に繋がるためです。

 

 お店の中で調理マニュアルをすべて暗記しているのは私だけでした。そのうち「オーダーでわからないことがあればあいつに聞けばいい。全部知っているから」という状態になりました。

 

 そもそもバイトであろうとパートであろうと社員であろうと、お給料をいただいている以上は「プロ」だと考えています。仕事のミス(たとえば料理が遅れる)に対して、言い訳はできません。

 新人の飛行機パイロットが、搭乗したお客さんに向かって「もし操縦を間違えてこの飛行機が墜落しても、新人なので大目に見てください。」ということが通用しないのと同じです。

 

 

 ある日、深夜帯に近い時間に想定外の入客がありました。ホールは男性と女性の社員が1名ずつ、キッチンは私ひとりでした。

通常であれば、キッチン3名ほどでこなすほどのオーダーが一気に入ってきました。当然、自分ひとりでこなす処理能力をはるかにオーバーしています。

 

 ただひたすら必死に一つひとつのオーダーを仕上げていきました。「なんで自分がこんな目に」なんて微塵も感じることはありません。「人手が足りない」という言い訳も通用しません。現状でできる最善をやるだけです。

10分以内の提供が当たり前のところ、平均20分以上かけてしまったと思います。私の心にあったのは、ただただ「お待たせして申し訳ない」ということだけでした。

後ほど、ホールにいた女性社員から「あんな状態で諦めないで必死にオーダーを上げている姿を見て、私半分泣いてたよ。」と言われました。

 

翌月、自分の時給が少し上がっていました。聞くところによると、その女性社員が店長に直接訴えたらしいです。「あの人の時給が上がらないなんておかしいです!」と。

 

2~3年の後、自分は新人の教育係になっていました。当時の社員から「新人教育については、お前が正しいと思うようにやって構わない」と言われていました。お陰で自分のやりたいように教育ができました。

 

 教育について意識したことは「相手の立場に立つ」ということです。ベテランにとっては自分の部屋のように店内のレイアウト・仕事内容が頭に入っていますが、新人さんはそうもいきません。右も左もわからないことだらけで不安がいっぱいです。

そんな新人さんの抱えている不安を知って認めようとする態度が大切だと考えます。

まずは一つひとつの業務を丁寧に教えていきます。自分がシフトに入っていない日でも必要があると思えば、新人が入っているときはお店に行って教育をしていました。もちろん無給です。

「そこまでやるの?」と思われるかもしれませんが、自分にとっては「店舗が利益を出すために当然すべきこと」と考えてやっていました。

おかげで「店長の指示よりもわかりやすくて的確です。」と言われることが多くなりました。

 

 

 もし新人がなにかミスをしたら、それは教育係である私の責任です。「自分が適切な教育をしてこなかったから、このミスは発生した」と考えていました。自分がいない時間帯であっても、新人のミスは自分の責任です。

「あいつ(新人)が悪い」と少しでも考えてしまったら、その新人と適切な人間関係は築けなくなります。結果、仕事もうまくいきません。

 

もちろんこちらがいくら丁寧に教育したとしても、成長が見られないヒトもなかにはいます。そんな場合でも「自分がこんなに一生懸命教えているのに」と考えてはいけないと思っています。「きちんと伝わるように教えなかった自分が悪い」と。

 

「行為責任」と「結果責任」という考え方があります。

 

 野球で例えると、ピッチャーにはピッチャーとしての、ファーストにはファーストとしての役割があります。それをしっかりこなすのが「行為責任」です。一方「結果責任」は監督の役割です。試合の勝敗という「結果」に対して責任を取ります。プレイヤーとしてグラウンドに出てこない監督が、優勝した時に胴上げされるのは、「優勝」という「結果」に責任を持っていて、その責任を果たしたからです。

仕事の現場においても「行為責任」と「結果責任」を明確にしておく必要があります。

 

 

こういったことも親の教育方針で、「なにか問題が発生したら、それはすべてお前のせい。決して他人や環境のせいにするんじゃない。」

「逆にうまくいったときはまわりのみんなのお陰様。お前自身の成果なんてものは何一つない。感謝の気持ちを忘れるな。」

「お前は何一つ取り柄がない人間なのだから、尽くす、与える、ということだけをとことんやりなさい。」ということを幼少期から文字通り叩き込まれていたことが要因としてあります。

 

 お客様に価値を提供してお金をいただくということになれば、いい加減な気持ちで仕事に向き合えることは出来ません。

 下手な品質の商品・サービスを提供するということは、お客様の貴重な時間と、お客様自身が一生懸命働いて得たお金を奪い取るということです。

「たかがバイトでそこまで考えなくても」と思うヒトもいるかもしれませんが、私自身は上記のような気持ちで仕事に向き合ってきました。

 

 仕事をするときに心がけていたことは、「せっかく来ていただいたお客様に残念な思いをさせてはならない。満足感を得て帰っていただきたい。」「なによりその対価として自分は給与を貰っているのだから」ということだけです。そのために必要と思われる事を自分なりに考えてやってきました。

 

 結果的に部下にはとても恵まれました。こちらが細かく指示をしなくても、それぞれのメンバーが、それぞれのポジションにおいてすべきことをちゃんと理解して、実践してくれます。一生懸命仕事に向き合ってくれるスタッフたちと一緒に業務ができたことは、自分にとって幸せなことです。

 当時の部下の一人はファミレスを卒業後、某コーヒーチェーン店の店長となり、全国トップクラスの売上を記録することになります。「仕事とはなにか?という重要な土台の部分を学ぶことができたおかげです」と言ってもらえました。

 

最後まで読んでいただきありがとうございましたm(_ _)m